もうがんばれなくて、疲れたなって時に(うつっぽい気持ちに隠れた心)
先日、
八王子は39度超えを記録して
駅前の温度計なんか42度を表示してましたよ。
気力ではどうにも乗り越えられない、
災害級の暑さ。
どうぞご自愛くださいね。
がんばれない時でも自分に厳しいわたしたち
「がんばろう」
「なんとか乗り越えよう!」
「ポジティブでいよう!」
という気力。
というか、意志のちから。
そんなものが功を奏さないこと
って多々あります。
ほんとうはもう
がんばれないし
前も向けないし
傷ついてるし
まだいろいろ引きずったままだし
元気になれない。
「でも」。
「でも、母親だから」
「でも、周りに迷惑かけるから」
「でも、元気な自分を見せていないといけないから」
「落ち込んでたら周りに気を遣わせるし」
「みんなこれくらい乗り越えてるし」
「傷つきやすい、打たれ弱い自分でいたら生きていけないし」
「波動や言霊を悪くしてると、悪い現実を引きよせるし」
そう自分に言い聞かせて
ポジティブなフリや
乗り越えたフリをしている方も
いらっしゃるかもしれませんね。
言い聞かしてはいなくても
周りから
「あなたが死にたいと思っている今日は
誰かが生きたかった明日だよ」
みたいな最悪エセポジティブを
投げかけられて
口をつぐむしかない、
そんな場合もあるかもしれません。
がんばれない理由=自己否定かも?
ポジティブな言動をしていることで
気持ちが引き上げられることがあるという事実も
否定しません。
けれども、
「母として」
「社会人として」
「人をケアする、励ます人として」
「いつも元気であかるい〇〇さんとして」
なんていう外的役割や
ポジティブな、とか
いつも笑顔な、とか
いつも悟ってる(?)ような、とか
そんな自分の一部の側面だけを
「これがわたし」とOKだしてることって
ありませんか。
その逆の
「ただのニンゲンの」
「ほんとうは結構めんどうで」
「ネガティブで」
「沸点低くて」
「ちょっとうつっぽくて」
「すぐイライラして」
「疲れて、やる気なくて」
「ふつうに傷ついてる」
自分を否定していること、ないですか。
人は、多面体です。
一部の「好ましい側面の自分」だけを
あたかも「自分の全部」だと認識して
それ以外の「好ましくない自分」を
無意識に否定していると
ふとした拍子に
「なんか、生きるのしんどい」
「もう、いろいろつかれちゃったな」
みたいな気分になってしまうことも
あるかもしれません。
がんばれない時はどうするか
生きてるのしんどかったり
なんかつかれちゃったりするときは、
自分の一部だけを肯定して
一部を無視して否定するその生き方が
もう窮屈で、
息苦しくて、
このままの生き方ではもう生きられない
存在を否定している部分も
認めて、受け入れて、生かしてほしい
そんなふうに
内側から訴えかけているからかもしれません。
「いや、
生きてるのしんどいってほどじゃないけど・・・」
という方も
ほかの誰かが
自由に楽しく「自分を生きてる」ことに
悪口言いたくなっちゃう時や
自分と同じようにがんばってないようにみえる人に
イライラムカつく時は
なにか、
自分にガマンを強いていることや
傷ついているかもしれないこと
解放・昇華してほしい気持ち
(たとえば抑圧した怒りや罪悪感、
絶望、悲しみなど)が
ある場合もあるので
要チェックです。
まずはよく寝て、
食べたいもの食べて、
辛いことがあるなら少しそこから離れて。
ダラダラ楽しめることをしましょう。
すこしだけ自分を労われたら
もう一歩だけ
自分のために。
役割だけをまっとうせざるをえなかった自分や、
がんばって否定せざるをえなかった、
「もう一面の自分」の声を
聴いてあげる機会を
つくってあげるのもいいかもしれませんね。
ともかくも、
大事なのはその命を生きているあなた自身。
お互い、大事にしましょう。
声を聴く機会に
リラクゼーション効果のあるアクセスバーズや
などもおすすめです。
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