top of page
  • 執筆者の写真Aarteeni

わたしがわたしの安全基地になる(自分と向き合う方法)

自分と向き合うってこわいこと?




「自分と向き合うってなんかこわい」

「よくわからない」

そんな風に感じる方もいるかもしれません。

常に自分を罰しているから、

また(自分に)ダメだしされそうで怖い

すごくイヤな、嫌いな、惨めな自分が出てきそうで怖い

泣いたら(あるいは怒ったり悲しんだりしたら)

止まらなくなりそうで怖い

今まで持ってきた自分像がなくなったら

もう生きていけなさそうで怖い・・・

いろんな理由があるかもしれません。

こわい、と感じることも

「ありのままの自分」です。

無理やり、準備のない時に

扉をこじ開けるようなことはしなくていいと

わたしは思います。

けれど

扉を開けたい、でも怖い!

あー怖い!でも開けたい!

みたいな心境の時は

ベイビーステップで

一歩ずつ、

少しずつ開けると

扉の内側にあるものとつながれる幸せや

安堵感を感じられると思います。

その幸せや安堵感は、

こわさを凌駕するものだとも思います。

自分に優しい時間

自分と向き合うヒントは身体の声を聴くこと!


自分と向き合うって、

まさにその扉の内側にあるものと

コンタクトをとるようなこと。

「内側にあるもの」は、

より本質的な自分かもしれません。

それとコンタクトを取りたいと思ったとき

今すぐにできること、

それは

身体の声を聴く、

つまり身体に意識を向けること です。

今、寒い?あつい?

何か飲みたい?

立っている時の重心、

座っているお尻の感覚、

横になっているなら身体と接している面の感覚

それ、

心地よいかな?

感覚を感じてみること。

心地よいなら、

その心地よさを心で感じてみる。

少し心地悪いなら

ラクな方にかえてあげる。

もし温度がしっくりこないなら

なにか身に着けたり、場所を変えたりしてみる。

そうできた時の

「ほっとする」「うれしい」「しあわせ」な感じを

感じてみること。

そこからです。

えっそんなこと?

って思いますか?

でも

赤ちゃんが世界を、大人を信頼していく過程って

こんなことからスタートします。

心理学でいう「基本的信頼感の構築」です。

大事にあつかわれ、

快適に過ごしたい欲求を満たされ 

不快ならそばにいて慰め励まされ安心を提供されて

ああ自分はここにいていいんだ、

受け入れられる価値のある存在なんだ、

わたしはありのままでここに生きている!

という

全幅のこの世への信頼感を得ることができる。

このベース、安全基地があるからこそ

安心して、のびのびと

自分をあらわしていくことができます。

その安全基地に

自分自身がなってあげるんです。

足が寒いんだね、あたたかくしようか

あったかいお茶がいい?冷たいジュースがいい?

脚が痛いな、姿勢を変えよう

そんなほんの小さな生きる欲求を

小さく叶えていくことが

「自分と向き合う」ことの土台となるベイビーステップです。

自分の命の欲求を聴くんです。

日常の小さな快不快に気づき

「ちょうどよい方」を選ぼうと意識していくと

そのうち

「今、モヤッとした」

「かなしい」

「イラっとする」

「ここには行きたくない」

なんて

ささやかな「内側の声」も

ダメ出しせずにありのまま

キャッチできるようになります。

それがさらに

「本当はあれがずっと憧れだった」

「本当はあの人のことがずっとイヤだった」

「本当はずっと悲しかった、怒ってた」

「本当はもうやめたい」

「本当はこれをしたい」

もう一歩深い感情、欲求、願望とも

だんだんと

つながりやすくなってきます。

もしかしたら

「そんなことできるわけないじゃん」

「イヤだっていったってやらないとダメでしょ」

「やめてどうすんの」

「それやってなにになるの」

「だってあの人が反対するよ」

という「それを阻む思考」の存在にも

気がつくかもしれません。

でも

「内側の大事な声がある」

「それを思考が阻んでいる」

それぞれの存在に気がつけることも大きな一歩。

いろいろ阻むものはあれど

大事にすべき声を

どうやって大事にしていくか 

それを考えてあげようとする。

すぐ応えられなくても 

少なくとも声を聴こうとしてあげる。

できなければ、誰かの助けを借りようとする。 

そんなふうに対処できる自分である、

と感じられることも 

「なにかあってもこの世で安心して生きていける」という

安堵感に基づいた自信になりますね。

扉を開ける

内側にある扉って、

多分みんな

今見えないだけで沢山あるのだと思います。

もうオープンに開いている、と感じる人でも

先に進み、

魂が拡大と成長を遂げれば

また次の扉が見える。

それを開けたらまた

新たな自分に出会える。

成長する器の分だけ

死ぬまで扉があるので

「わたしは扉を開けることのできない勇気のない人だ」

なんて

自分をジャッジし

恥じる必要はまったくありません。

今生きている人はみんな

いまだ「その次の扉」を開けてない状態、

つまりそれぞれの魂の成長の途中なのかもしれないから。

わたし自身もきっと

「今より先の、次の扉」をまだ開けていないはず。 

ちょっと怖いと感じても

知らない自分がまだ先にあって

もっと幸せを感じられると思えば 

自分と向き合うことって

楽しみなことですよね。



もっと身体の声を聴いてみたい方は

お身体と対話療法もおすすめです。

bottom of page