top of page
  • 執筆者の写真Aarteeni

どうせ幸せにしかならない~要らない思考を手放そう

わたしたちは

死ぬまで成長していく生きものです。

肉体的には衰えることがあっても、

心や魂は、

死ぬ瞬間まで変容することができます。



もし生きている中で、

ああ、なんかしんどいなあ、つらいなあ…

と感じることがあったとき


「わたしってそういう人だから」

「人生ってそんなもんだから」 と


ただただつらさを我慢したり

諦めたりするだけではなく


「わたしが成長したがってるから もう合わない思考・行動は 交換する時期なんだわ」


そんなふうにとらえたら、

その出来事をきっかけに

不要な思考・行動パターン・セルフイメージを

あたらしいものに交換することができる。


そうしたら


その後の道のりは

もっと快適に、

自由に、

よりいっそう幸せを感じながら

歩めるようになるかもしれません。



それは例えば、

成長してサイズの合わなくなった靴を

どんどんあたらしいものに替え、

履き替えながら歩くような

気軽な、たのしいことかもしれません。

もし

人の足のサイズが

人の心や魂と同じように


死ぬまでずっとちょっとずつ

大きく成長していくものだとしたら



人生の途中で途中で

「ちょうどいい大きさと形の靴」に履き替え続けるのは


安全や快適のため、

自由にどこかへ行くために

あたりまえのことですね。



足に窮屈さや痛みや違和感を感じた時が、

靴の交換のサインです。

(もう飽きたとき、でもいいですね!)



サイズを大きくするもよし、


いつもの所に靴擦れが起きない、


今の足の形にフィットしたものにしてもよし、


ヒールが高くて疲れるなら低くするもよし。



「なにが(どんな思考が) わたしの足(心・感情)を痛めて 窮屈にしているんだろう」


今までの靴(古い信念やセルフイメージ)をチェックして

あたらしい靴(あたらしい信念やセルフイメージ)に

交換することは


誰もがしていいし、できることです。



そうできたら


前よりも快適に、

痛みにとらわれずに、


周りの景色の美しさを感じながら

歩いていけるはず。



痛みは単なる交換のチャンスってだけで

その先は、自由に、幸せにしかならないわけですね。

ただ、

だからといって痛みを軽視するのはナンセンス。



交換する時期には

ちゃんと痛みを痛みとして感じることが

とても大事です。



靴はいくらでも交換可能ですが、

本体であるわたしたちは今世でひとりにひとつだけ。


その「わたし」が痛いと感じるなら

その痛みはきちんと受け止め大事にしたいものですね。



どんなふうに痛かったか、

どんなふうに窮屈なのか、

なんで、今までその靴を履く(=その思考パターンを持つ)必要があったのか。



そんなことなどを理解して

痛い気持ちを抑圧せずに表現し

時に人の手も借りてケアしたほうが、


身体本体がありのままでいられます。



ありのままの、

ニュートラルな状態であたらしい靴(=信念など)を選んだほうが

同じパターンの痛みや窮屈さを

再び経験するのを回避でき、

より自分らしい、しっくりしたものを

選べるようになるから。



またなかには

もしかしたら


合わない靴が負担すぎて

流血や疲労骨折して

「もう歩くのムリ」と感じている方も

いらっしゃるかも。



そんなときは

ひと休みも必要です。


流血や骨折しながら

またすぐ歩いては

別のところを痛める可能性もありますから。


ひと休みしながら、

たっぷりケアをして、

自然治癒力で傷が癒えたら 

また歩いていきたい、と

自然に思えるようになります。



なぜなら、

やっぱりわたしたちは成長していく生きものだから



どれだけ時間がかかるように思えても、


もう歩けないんじゃないか、

ずっと痛いままなんじゃないか、と


自分を疑ったとしても、


意志と関係なく血が止まってくれたり

骨がまたくっついてくれるように、


命のおおもとの力、魂の力は

どうしたって命を生かす方へ向かいたくなるもの。



そうしていく力を

ひとりひとりちゃんと持っているのですよね。


感じるまま「痛かった」と表現したり

涙が流れるなら流したり

休んだりケアしたり 

自分もあたらしい靴を履いていいんだと思えたら


また

「どこかに歩いて行きたいな」と

きっと思えるようになりますよ。



休みたい方は


靴を取り替えたい方は

がおすすめ!

bottom of page