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  • 執筆者の写真Aarteeni

お金の話、続き(「わたしは優先順位低くていい」という心の癖)

前回お金にまつわる罪悪感について書きましたが

本当に、 人間関係やお金は

「わたしは、世界や自分自身をどうみているのか」

「もう手放していい癖はなんなのか」

っていうことが 

わかりやすい「現象」だと 感じています。


だから、

苦手意識がある分野こそ

見つめてみると

そんな思いこみ(お宝)発掘度が高く

その後が豊かに発展できるのかもしれません。

わたしの苦手分野は「お金」。

前回のセルフセラピー後、

「お金を受け取ること」については 罪悪感もほぼなく、

使う時も

感謝の気持ちを乗せてお支払いができて

あーありがたい、いい感じ♡

と思ってたわたし。


でも、

使う時の気持ちにもっと細かくフォーカスしてみると

もうひとつ「心の癖」が浮き彫りになったんです。 

たとえば 

〇講座などの研修費に数万円払う時は

ほぼ抵抗なく感謝を乗せて払えるのに 

お仕事用ではない私服に同じ額を払うのは 

ぐっっっ…(無理)…

となる。

〇お仕事前のカフェ代は

「自分を整えるために支払う代金」

として快く払えるのに 

もう帰るだけの時のカフェ代は

「もったいないから帰ろう」

とジャッジする癖がある。 

誰かへのお礼や贈り物は気軽に支払いをするのに 

自分にお金を使う時は散々悩んで悩んで厳選する。

つまり

「単純な自分の楽しみにお金を使うのには

まだまだ自由さ・軽やかさが足りない(抵抗がある)」

ということ!

「私の個人的な楽しみなんて、優先順位低くていいんで」

という驚愕の

「自分の扱い方の雑さ加減」

苦手なお金分野から

発掘されたんですよね~! 

大元をたどれば、

きっと

「ワガママや贅沢を望まなければ 家の平穏が保たれる」

という幼い頃の思いこみ。

「私なんかの楽しみより、安全や生き伸びることが第一」

というサバイバルモードから来る

一種の無価値感です。 

もう、

大人の今はサバイバルしなくていいし

むしろ逆の方が豊かになるって知ってる。

エネルギー満タンでいることが

周りの誰かへの還元にもなるから

好きなことたくさんしてる。

なんて思っていたんですけど

大枠ではそうできていても

まだまだ日々の小さなところには

残滓のように、ありましたね。 

(この辺の大きいところを解放したい、という方は

そりゃあ、

そんな風に潜在意識的に思っていたら

当然現実のお金の巡り方も

「我慢できるなら、その分はたっぷりなくてもいいんだね」

って感じになるわ!

イ~~~ヤ~~~!

そして

もうひとつ

そんな風に自分の楽しみを我慢しているときって

「なぜか突発的な出費(怪我など)が起きる」

というケースが、とっても多かった。 

こんなとき

「いざという時の蓄えをしていてよかった」

という現実的なとらえ方もできるし

「結局支払うことになるんだから楽しく使った方がいい」

という見方もできる。 

どちらを選ぶも正解ですけど

わたし個人へのメッセージとしては 後者だと

うすうす感じています。

(うつ病で働けなくなり貯金使い果たしたことあるので)

じゃあこれから、

わたしはどうありたいかな?

と自分に問いかけ

小さく我慢していることをもっと丁寧にみて

やめていこう、

自由にさせてあげよう、 と決めました。

お仕事帰りのカフェ代なんかは、その代表。

「さっきも行ったし」

「もう帰るし家で飲めば?」

なんてジャッジしないで

「今、家じゃない場所に座って

誰かに淹れてもらったなにかを飲みたい」 

といった心の発する小さな欲求に

もっと細かく寄り添ってます。

それで

「ああ、うれしい、ほっとする」という感覚を

日々存分に味わえれば 

数百円で塗り替えていける、要らない心の癖!

ってわけです。 コスパ髙し。

こういう小さな積み重ねが

やがて大きくなっていくんですよね。

そのうちもっと大きい望みが出てきたときは

たとえできなくても瞬殺しないで、

「そうだね」と望ませてあげたい。

瞬殺が何度もあれば

心だっていつか黙ってしまいます。

望むことくらいは、どこまでも自由にしたい。

それも「自分へ雑な扱い」からの 解放ですからね。

「自分を大事にする」って、

さんざんクライアントさんにもお伝えしているのに

まだまだわたしも伸びしろたっぷり笑 

一緒に大事にしていきましょう~~

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