心を休ませるときに、大事なこと(休職時の過ごし方)
心を休ませたいときは、
「自分を嫌な気分にさせながら休まない」ことが大事です。
嫌な気分、
たとえば自分で自分を否定したり、
脅したり追い立てたりしたときの気持ち。
こんなことしてていいのかな~
わたしなにやってんのかな~
ああ、今日もなにもしなかった
もういい歳なのに、いつまでこんななの
みんなやってるのになんでできないの
きっとこう思われてるに違いないよ
なまけもの ダメな人 できない人
将来きっとこんな嫌なことが起きるよ
このままずっと、
私は変われないんだ・・・
休みながら、こんな言葉の数々、
頭に浮かぶことありますか。
わたしは全部浮かんだことありますよ。
自分を責めてる、
攻撃してる、
不安にさせてるって自覚がなくても
頭の中でこんな言葉が浮かぶなら、
そうしてます。
これでハッパかけられて、やる気出るんです!
モチベーションあがるんです!
というならそれでもOK。
でもたいていの方は、
いや~な気分になるんじゃないですかね。
心(身体も)を休ませたいときって、
もっと元気になりたい、
回復したい、
本来の自分の力を取り戻したい、
エネルギーチャージしたい、
などなどの意図があると思うんです。
いや~な気分になって
心も身体も重くなりながら
「元気になりたい」と願っても、難しいもの。
さて。
自分を責める、攻撃する、
不安な未来を示唆してるのは「頭」や「思考」です。
そして
「いや~な気分になる」のは「心」「感情」「感覚」。
元気になりたい、
本来の自分らしく幸せに生きたい、という望みは
もうなんというか、
思考を超えた生命や魂の望む自然なベクトルなんだと
思うんです。
顕在意識・潜在意識でもしわけるのなら潜在意識領域。
意識全体の95%を占めると言われる領域です。
その圧倒的な望みを思考、
つまり顕在意識でどうにかしようとしたら
命や魂にとっては不自然なのかもしれません。
その不自然さ、
「‘’元”(の)気」
「本来の自分」とは少しズレたサインが
嫌な気分として感じられるのかも。
だから、
今の心や身体の状態ありのままをゆるすのが
「本来」「元」の力を取り戻す、
ひとつのルートなのでしょう。
5%の顕在意識には
「否定したり追い立てたりする」働きではなく
「ありのままの自分をゆるそう」と
決意する働きを担ってもらうのです。
たとえば
今、なにもしたくないね
ずっと寝てたいね
つらいね
かなしいね
さみしいな
身体だるいな
マッサージ受けたいな
アイスたべたい
お笑い観たいな
絵を描いてみたい
外に行きたい ・・・
そんな、
いま心に浮かぶありのままを批判せず
「そうだね~」
「わかる~」と受け止め
共感・肯定してあげる。
すぐ上手くできなくても、そうしようと決意する。
それは
ありのままの自分を受け入れることのひとつです。
ありのままを「そうだね」と肯定され
受け入れられると、
心はほっとゆるみ、安心します。
いやな気分は軽く、
居心地よい状態になり
本来の力ものびのびと発露しやすくなります。
そうなったらあとは
命や魂ののびのび成長していく自然な力を
信頼していいんじゃないかと思います。
その途中で、ふと
もっと元気になったり安らぐなにかを
やってみようという意欲が湧いたり
ご縁のある人に出会うかもしれません。
今、心や身体がつらく
休みが必要な状態にあるのなら、
もしかしたら
心身が思うように動かず
いつまでたってもなにもしてない・できないように
感じてしまうかもしれない。
そんな時が長く続けば
この先どうなるの?
こんな自分でいいの?
いつになったら動くの?
なんて焦りがでても
やむをえないかもしれません。
でも、
エネルギーが枯渇するような、
そんな状態になるまでの事情があったのも、
また事実だと思います。
今は、
葛藤があるかもしれないけど
自分の命や魂の力を信じる時、
自分という存在に対してありのまま、無条件の愛を向ける
プロセスの途中なのかも。
このプロセスの中で、
より自分にしっくりくる生き方がわかったり
今の気持ちをありのまま受け入れ、
その延長として過去の気持ちをも浄化したり
それを通して自己受容・自己肯定できたりして、
自分の輪郭がはっきりとし
ますます魂の望む道をまい進できたりすることもあります。
何もできないように思ってても、
そんな人生の大仕事をするチャンスの時なのかも
しれませんね。
焦らず、自分を追い立てすぎず、
あなたらしいペースで。
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