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  • 執筆者の写真Aarteeni

しっかり者さんの「依存」の痛み

連日の報道で


不安や息苦しさ


いら立ちや焦りなど


感じている方も多いかもしれませんね。



人の心にはそれはもういろんな側面があって


この状況下で


いろんな感情が湧いてくるのはあたりまえです。



「今はしょうがないし」と


無理して抑え込み過ぎず


でも過度な情報からは身を守りつつ 


できれば自分の望む方向を見定めつつ


やれることをやって行きたいですね。






心のいろんな側面のうちの


「自立と依存」。



どの人の心にも


どちらもあるものだと私は思っています。



相手や場面によって


いろんな自分が出てくるのが自然かもしれません。




でも


赤ちゃんから子どもの頃は


誰でも「依存」状態。



そこからだんだんと「自立」に向かい


心の中の「自立・依存」のバランスを調整しながら


「相互依存」の状態に入ります。



「相互依存」というのは


お互いが「自立」した状態で



時に頼り、時に頼られ


できるところは担い、苦手な所は依頼する、支えあう


みたいなイメージ。




この「心の中の自立・依存」のバランスを調整する時期に


わりと出てきやすいのが


パートナーシップや家族、親子


親しい人間関係の問題です。



問題って書くと


なんだかダメっぽい雰囲気ですけど


つまりは


「自分の中の自立と依存のバランスを見直すと


もっと自分らしく生きられていいよ」


のサインです。





さてこのテーマ、


いろんな立場から見ることもできますが


今回はしっかり者さんのケース。




しっかり者さんの中には


子ども時代に誰でも通るはずの「依存」の時期を


いろんな事情によって


高速ギアで華麗にすっ飛ばしてきた方もいます。




精神的・物理的に親に頼れない状況だった


子どもながらに親を守らないといけなかった 


安心安全な場にいられなかった


他に助けるべき家族がいた…等の事情で、




このまま「子ども」のポジションにはいられないぞ




と漠然と決意した(させられた)経緯があって




「私がしっかりしなくては」


「大人にならなくては」


「誰かを助け、守らなくては」


と心理的にがんばってこられた方。



ほんとにね、がんばってこられた方、とても多いです。



そんな方は


人生のある時期まで


いわゆるとても「自立的な人」で


いろいろ成功している部分も多いかもしれません。




でも、ある時


たとえばパートナーや


お子さんや他のご家族との間


職場や友人の人間関係などで



置いてきぼりにしてきた


「依存時代の自分」に


向き合わざるをえない時が来たりします。




その「誰か」、


パートナーや子ども、親


友人や同僚をみて


心がザワザワ、イライラ、モヤモヤする。




しっかりしてよ!


どうしてそんなネガティブなの!


甘えないでよ!


それくらい自分で考えなよ!


くよくよすんな!


ちゃんとやって!


心配ごとより可能性をみようよ!




なんて。





はい、


これみーんな


過去数年前まで、私が夫に対して思っていたことです!



あー苦しかった 笑。




その頃の私の


本当の本当の、本当の本心は


病気で倒れてたこともあり



しっかりした夫に甘えて


守ってもらいながら過ごしたかった。



でもまあ全っっ然そうできなくて


自分の方が「ちゃんとして」る気がして


しっかりしてよ!って


イライライライラしていました。はい。



本音は


守ってもらいたかったのに、


そうさせてもらえない気がしていました。



事実がどうあれ、わたしがそう感じていたということです。





おもてに現れている現象としては、


こういう感じでしたが



これらの


「甘えんなよ!」


「しっかりしてよ!」という言葉って 



実は相手に対してだけではなく


無意識に、


非言語で、


自分にずーーーーーっと


子どもの頃から言い続けてきた言葉


投げかけ続けてきた自分への視線でした。





同じような方、いらっしゃいませんかー。




こんな風に誰かに


「しっかりしてよ、甘えんなよ」と


イライラザワザワすることがある方は



同じように自分に対して


「お前しっかりしろよ」と


言いつづけてきた、あるいは


そんな態度を取り続けてきた


可能性も、あるかもしれないんですね。




そして


あなたはそうせざるを得ない状況だったから


その厳しい視線にちゃんと耐え、応えてきた。




とてもしっかり


自分を律して生きてきた。



だって


そうしないと生きてこられなかったから。




別にそうしたかったわけじゃない人も


いるかもしれないし


誰かに


その「しっかり」を認めてもらえていたから


意識してそうしてきた人も


いろいろいらっしゃるかもしれません。



ともかく、


「しっかりしろ」


「はやくおとなになれ」


「そうしないと生きていけないんだから」等と


自分に言いながら、


依存のゾーンを高速ですっ飛ばしてきたわけですから



依存ゾーンでゆっくりしてる(ように見える)人を見ると、


自分の満たされていない部分が


刺激され、痛んだりもするわけです。




もし


そのイラつく「誰か」との関係を


もっと良いものにしたい


と思うのなら


この置いてきた「依存時代の自分」の気持ちを


わかって、昇華してあげるといいかと思います。




「誰かに頼りたかった」


「わかってくれる人がいたらどんなに救われたか」


「ただ安全に、安心していたかった」


「しっかりした存在に守ってもらいたかった」


「大事にされたかった」…



そんな欲求を


もしかしたら私は封印していたのかもしれない、と


思いを馳せるだけでもいいですし



できれば口に出して



「あの時こわかったな」


「不安だったな」


「さみしかったよね」



「本当は安心したかったね」


「本当は優しく守ってもらいたかったね」


「そんな中頑張って、私えらかったな」と



感情のエネルギーを


外に出してしまうのが


おすすめです。




感情エネルギーは、思考よりパワフルです。




感情が動き、ゆるめば


心にスペースが空きます。



そこに付随している



「世界とはこんなもの」という思い込み


(例えば


この世は誰にも頼れない


ひとりで頑張らないと生きられない、等)



「私ってこんな存在」という信念


(例えば


誰かを助けないと愛されない存在


大事にされない存在、等)



という


潜在意識に沈んだ思い込みなどに気づき


好きなように書き換えるのも


スペースがあれば楽にできます。




そんなプロセスを経ていくと、


なぜか気になっていた


イライラする「誰か」との関係までも


変化していくんですね。



相手と分かり合えたり


自分の素直な気持ちを表現できたり 


できないことをできないと言えたり。


誰かに頼むところを頼め、


自分に優しくなれたり


問題自体がないように感じられたり。



そして


「守ってもらえてない」「大事にされない」


「気がしていた」けれど


実は、ちゃんと


「守ってもらえてた」「愛されてた」ということに


気づいたりすることも。





外側の世界は心の内側の反映と言われます。



心の中で何が起きているのか


どんな信念をもっているのか


というものは


なかなか見えづらいので



「こんなことが起きていますよ」と


現実がわかりやすく見せてくれている。 



その起きている心の内に手を加えれば


映し出される現実もまた


変化するのは当然かもしれません。



その配役として


身近な家族や友人が配されるのは


とてもよくあることです。



なんだか、そう考えると


イラつく「誰か」もしみじみありがたいものかも


しれませんね。 





(自立と依存、次回にも続きます!)





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