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  • 執筆者の写真Aarteeni

教育虐待された側・した側、共に自由になるには




先日、

NHKクローズアップ現代という番組で

「教育虐待」のことが特集されていました。






「教育虐待」とは

臨床心理士の武田信子先生によると



「親が子どもの心身が耐えられる限界を超えて教育を強制すること」



と定義されています。

(教育とは、習い事も含む)




そして教育熱心と教育虐待との違いは


子ども側の苦しさで決まるとも。





たとえば大人が

「心身の限界を超えて」

仕事などを強制されたら、

つらいなとか

これ以上無理だななどと感じるでしょう。




けれど教育となると


その

「知識や技能をつけて才能を伸ばしたりする

という性質から



苦しいと感じたとしても


「これは必要な努力なんだ」


「この苦しさは自分の努力や才能が

足りないからなのだ」


「自分が弱いからつらいんだ」


「親も私のためにとやってくれてるのに、

なんで感謝できないんだろう」


・・・等と

自分を責めたり混乱したりするかもしれません。



そして

「自分が悪いのかも」という

罪悪感や無力感などがあるために


親や社会から

強制されコントロールされる苦しさに

耐えながら引き受けてしまうかもしれません。



さらに

受験を乗り越えたり

試験やコンクールなどで良い結果を得られたら

いっとき、

達成感や満足感を得られるかもしれません。



そこに

わかりやすい身体的暴力などとは違う

教育虐待の気づきにくさが

あると思います。




セラピーにお越しくださる方の中には


「これは虐待に値するのか、違うのか」

「虐待じゃないのであれば

やはり自分がガマンすればよかっただけなのかも」等

気になさる方もいらっしゃいますが



あなたが苦しかったと思えば

虐待の定義に当てはまるかどうかに関わらず

それは尊重して癒すべきものだとわたしは考えています。




そしてその

「自分が苦しかったかどうか」

という視点は


子ども側の方だけじゃなく


「自分はそうしてしまった(している)かもしれない」


と省みる親御さん側にも言えることです。





虐待って、今は

マルトリートメント(不適切な養育)という言葉が

広く使われていますが


1980~1990年代くらいまでは

その定義もやや狭く

チャイルドアビューズ(child abuse)と言われてました。



アビューズは

「ab(逸脱した)-use(利用)」




つまり、

親が子を「不適切に使っちゃう」という表現をしてて


日本語の「虐待」という

酷く恐ろしい暴力的な訳語のイメージより


こちらの方がその本質を理解しやすいなと

思った記憶があります。





親が子を「使う」とは



親自身が持つ不安を解消したいために


親自身の不全感や無価値観を埋めるために


成功したかったという後悔を昇華するために


賞賛されたい・認められたいという気持ちを代わりに達成してもらうために


支配や依存をして安心したいために


昇華されていない怒りや悲しみ、

無力感や罪悪感、欲求の投影先(受け皿)として・・・




そんなさまざまな(無自覚な)思いのために

子の存在を「利用」してしまうということ。


(これらに当てはまらない虐待ももちろんあります)




人はモノじゃないので

「利用」されるとイヤなものです。




けれどそれが


親に依存せざるを得ない子ども時代の出来事で

依存先であり愛されたい対象の親から

そうされたのであれば


愛と思って受け入れるよう自分を言い聞かせたり

望むとおりに努力しようとするかもしれません。




なぜならそれが

生きるために必要だから。




それでも

一人の人間としての生命力が

「自分の命を生きる」段階に来たとき


尊重されたい、

利用されるのはイヤだと 


苦しみを、よりはっきり自覚したり


心身に不調を起こしたり


自己肯定感の低さや自信のなさ

対人関係のうまくいかなさ

自分が何をしたいかわからないなどの感覚に


悩むことがあるかもしれません。





では、どうしたらそこから自由になれるのか。




番組内で武田先生が

「虐待と教育熱心の違いは子どもへのリスペクトがあるかどうか」

と仰ってましたが


回復の過程も

リスペクトがキーになるとわたしは思います。




不適切に扱われた痛みを自覚し

自分はそのように扱われるべき存在じゃない

尊重されるべき人間だと


自分へのリスペクトを取り戻していくんです。




自分をリスペクトなんかできない、


と思っても

それはただ


自分を感じられなくなっていたり

リスペクトに値しないと「思い込んで」しまっているだけ。




時間をかけて

自分の気持ちや湧いてくるものを

感じる力を取り戻し

それにOKを出し

さまざまな思い込みを手放すことで

自分を尊重することができるようになります。




だって、


リスペクトすべき自分は

いないのではなく

そこにすでに存在してるのだから。






そしてこのことは


利用してしまった(している)側も同じです。





どんな思いでお子さんに関わっていたのか、


不安があったとしたら何だったのか、


不全感や無価値観などを抱いていたとしたらどうしてなのか、


ご自身の親御さんとの関係はどんな感じだったのか、




その歴史や

心の奥を紐解いていくと

きっとさまざまな感情や思い込みが

見えてくるでしょう。




それを感じようとする意思や

もう子どもにそのようなことはしたくない、

自分を省みてみたいという思いを持つ方であれば


まず

ご自身へのリスペクトを

そして

お子さんへのリスペクトを


取り戻していけると

わたしは思っています。





あの頃苦しかったな、


本当はイヤだったな、


自分はダメだと思っていたな、


なんでわかってくれなかったんだろう、


でもお母さんを責めることもできない、


反抗したこともあるからもう終わったはずなのに、


今は仲がいいから今さらもういい気もするのに、


でもやっぱりこうしてくれたらよかったのに、


こう言えたらよかったのに、


あの子のためだと本当に思っていたのに…




そんなたくさんの

ありのままの素直な気持ちを

そのまま尊重する。


それが自分へのリスペクトを取り戻す第一歩です。


あなたの感じた感情は、大切なものです。





自分へのリスペクトを取り戻したい方は








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