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  • 執筆者の写真Aarteeni

「未完了」を終わらせて次へ

「達成できなかったことや


中断されたことは


達成したもの(完成したもの)より、記憶に残りやすい」。



心理学で


「ツァイガルニク効果」とよばれる、


多くの人に共通して起きる心の動きです。



たとえば



気持ちを伝えられなかったせつない片思いや、


子どものころ果たせなかった夢を


今でもなんとなく思いだしちゃう…とか。



9割方きちんとこなしてる仕事より


一つ二つの失敗を鮮明に覚えてる…とか。



育児中なので家事は全部中断されます!


終わらせたいことがいっぱいあってストレス。


という方もいらっしゃるかも。



「未完了」のことって


脳はよく覚えているんですね。




感情も同じことが言えます。



未完了の感情って


どういうことかというと


「満たされたかったのに、そうできず残った気持ち」です。




愛されたかったのに、思うように愛されず寂しかった



甘えたかったのに、しっかりしなくちゃいけなくて悲しかった



認めてほしかったのに、反対ばかりされて悔しかった



信頼してほしかったのに、口出しされて不自由だった…




「完了できてないと感じる思い」は


誰でもひとつやふたつあるものかもしれません。



これらは


忘れてしまえれば、


それはそれで全然かまわないのですが



無意識に


その未完了な気持ちを


別の身近な人にかさねたり、


ぶつけたりしてしまったり


(これを「転移」と呼んだりします)



物事や、人生全般を


「愛されてないフィルター」


「甘えられないフィルター」などを通して


見てしまったり



「わたしってどこにいても軽んじられる」


「いつも頑張らないといけない」


「誰かに口やかましくコントロールされることが多い」


など、


同じパターンの辛さを


感じてしまうこともあります。



このことで


自分で自分を窮屈にしたり


自分を幸せにしない思考を


採用してしまったり


身近な人とのコミュニケーションを


複雑にしてしまうことも。



「自分をもっと、いっそう幸せにしたいなあ」


「自己受容したいなあ」


「そして自分らしく、自己実現したい」


と思っている人には


結構いいヒントが埋もれている


「要チェック」なところです。





たとえば


わたしの未完だった感情のひとつは


「安心感」。



子ども時代


父親が病気だったもので


日々が不安定で


「安心して過ごしたい」という気持ちが


自分の望むようには満たされない、


ということがありました。



そうするとわたしなりの


「安心したい気持ち」は


完了していないわけで



「不安」「悲観」


「安心できず悲しい」


「親が安心させてくれない!という怒り」が



癒されないまま残ってた時期があったんです。




残っていたことでどうなってたかというと


少しでも「安心できない」と感じる


出来事に対して



内心


めっちゃくちゃ過剰にザワザワしてました。




もちろん「不安」を


感じるのがダメなわけではありません。



感情には「良い」も「悪い」もなく


等しく価値のあるもので


どんな気持ちを感じてもOKです。



でも、


めちゃくちゃザワザワして


まるで過去の気持ちの分まで


「盛ってる」かのように


特定の出来事に対して過剰に


不安・悲観的になったり



父に対して感じていた気持ちを夫に「転移」して


「夫に不安にさせられてる(怒)」と


被害者的な立ち位置にたってしまったり


(夫よ、ごめんなさい…)



「どうして繰り返し同じような目にあうんだろう」


と自分を情けなく思ったりしてました。



身近な人や、出来事、自分まで


ありのままに見られなくなってしまってたんです。


感情の渦にのみこまれてる感じ!



さらに無意識に


「わたしの人生、やっぱり不安だらけ」


というストーリー(人生脚本)の通りに


行動や気持ちを選択してしまって、




人生って、やっぱりしんどいじゃないか。




と、生きるのイヤになってました。








どんな感情を感じてもOKだけど


わたしはほんとうは


「ラクに心地よく生きたい派」。



未完の感情が苦しみを生み、


心地よく生きられないなら


なんとかしたい!


と思うタイプなんです。



激しい感情に振り回されることに


ほとほと疲れてましたし


そこにエネルギー注ぐよりは


やりたいことに注ぎたかったし、



「生きるのイヤ」の裏側は


「平和に生きたい」でしたし



健やかな愛ある人間関係を築いたり


自分なりの幸せを感じたかった。



なので「未完」の気持ちを


地道にひとつひとつ「完了」させていきました。




そうした結果、


今はその頃より平和に


幸せを感じながら生きられてます。



もちろん、


ザワザワがゼロになるわけではないですが


10あったものが2くらいには減りました。



そうすると、


ザワザワで消費していたエネルギーを


自分の望みに向けられやすくなり



感情を誰かに転移させず


ありのままに人や出来事も見やすいので


平和的なパートナーシップに変わってきて



リラックスできるので解決策も取り入れやすい。



全体的に、ラクになりました。


そして、なにより自由です。



過去の感情や


出来事


それに伴って作ってしまった


自分の「痛みベース」のものの見方(信念・思い込み)から


自由になれたことで



「生きるのしんどい」


と思っていたところから



「命があってありがたい」


「幸せだなあ」と



感じるところに移動できた気がします。



不安を感じていた中にも


大事にされた思い出があることに


気づいたりもできて


豊かさやありがたみも感じられます。



そして、


10あった不安が2になっても


もしかしたら


他の人より不安感は多めなのかもしれない


けど


それはもう、わたしのキャラだな


と自然に思えてます。



自己受容もできたわけです


(自己実現には、この受容がベースとして大切ですよね)。



わたしにとって


未完を完了させるって、


恩恵いっぱいなものでした。


(わたしだけじゃなく、


セラピー等で「完了」させた方は


同じような変化を感じる方が多いです)




完了のしかたは、いろいろあります。



今を充実させれば


自然と完了できるという方もいらっしゃるし



感情を直に触らないアプローチが


合っている方もいます。



過去を振り返って、感情を再確認し


ある程度実感をもって


「よし終わらせた!」と感じたい方も。




振り返ってみたい方は


「自分は何が満たされなかったのかなあ」


「満たされずに、どう感じてたのかなあ」と


自分の心に聴いてみると


ヒントがあるかもしれません。



そして、それが見つかったら


今それが満たされることは何かな?と感じて


自分にしてあげるだけでも


少しずつ完了に近づけると思います。





「どうしてまたこんな目に」


「なんで同じ体験を繰りかえさなくちゃいけないの」


と思うようなことって


あたま(顕在意識)的には不可解だし、


なによりしんどいですよね。



古傷さわられてる感じで痛いし


繰り返しちゃう自分てダメなのかな、と思ったり。



でも魂や潜在意識的には


「未完了の気持ちを完了させたい」


「そうすることを通して魂を成長させ豊かにしたい」


「そして自分なりの道を生きたい」


という意図があったりするのかもしれません。



ただ苦しませるために


そういうことが起きているわけではないし、


むしろあなたが


「それを通して成長できる魂」だからこそ


何回も同じことが起きているのかもしれません。


今生で、クリアするお役目があるってことも。



人は、基本的に


豊かになったり、


成長したり、


人間性を深めたり、


その人らしい経験をして命を謳歌


したいんでしょうね。



潜在意識って、やっぱり大きな愛なんだなあ。






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