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執筆者の写真Aarteeni

「安全な空間」~ヒプノ(インナーチャイルド)セラピーご感想

もちろん大人もそうですが


子どもにとっては特に


生きる場が安全であることは重要なことです。


成長(発達)の途中でもあるし、大人に比べて行動の自由度に制限もあるから。



けれども何らかの理由で


その望みが叶わない時期や状況がある場合もあります。



そういう時、どうするか。



自分が安全じゃないから、誰かにどうにか安心させてもらう?


自分が安心できない怒りから、周りに暴力で訴える?


「どうせ自分は」と自暴自棄になる?



子どもの頃のM様は、


みずから、ひとりで一番安心できる場所を確保しました。



たとえ限られた時間であっても


安心でき誰も侵さず自分も侵されない場所。



どういう選択をしたとしても誰も責められない中


とても強く聡明な行動をとられたなあと私は感じました。



大人である今のM様の潜在意識が


この時セラピーの中で


この場面と気持ちをご本人に伝えたことは


必ず意味があります。



必要なものを必要な時に、大いなる叡智が知らせてくれる。


潜在意識は自分の素晴らしい味方なんです。


自分ですからね。



意味を受け取りながら、


また進んでいくM様に敬意を表して。


ご感想ありがとうございました!







以下ご感想です。



ヒプノ(インナーチャイルドセラピー)感想】M様 20代



ヒプノを受けるのはあやさんのところでは2回目ですが、


その都度自分の忘れていた自分に出会うというか、再会しています。



前回は高校生の自分に会いました。


当時は下校時刻が来る度に図書室に行って、


人が滅多に来ない奥まったコーナー(棚に並んでいるのは古典文学ばかり)の椅子に


座っていたなあ、ということ、


自分にとってそこは、


ほっと一息ついて安心できる場所で、


隠れ場所だったことを思い出しました。



記憶の中のその椅子に座って


安全だなあと思っていたら、


涙と一緒に感情が出てきました。



“安全だなあ、


温かいなあ、


明るいなあ、


何も脅かすものがない、


息がつける、


苦しくない、


守られている感じがする、


ずっとここにいたいなあ、


でもずっとはいられないなあ、


○時頃になったら帰ろう、


他に人が来たら帰ろう。”



そういえば、


当時はいつもそう思って座っていたということ。



懐かしい感覚というより、


本当に忘れていた自分なので、


「ああそうだ、そうだった」と


再発見したような気持ちでした。



そして何しろ再発見なので、


当時見えなかったものも見えてくる。



ああ、あの頃の私は、安全じゃなかったんだな。



通学の往復路、


教室の中、


家の中、


緊張ばっかりしていたんだな。


と、今ならわかります。



私は、


安全な部屋や家が今までずっと欲しかったのですが、


その「安全な空間」のイメージの基は、


この図書室の片隅なのかもしれない。



ヒプノのすごいところは、


当時の映像だけじゃなくて、


感情を再体験できることです。



よくこんな自分や感情、私の中に仕舞われていたな、


とビックリします。


10歳のニコニコした自分に出会った時も、


5歳の泣いている私に出会った時も。



そして、昔の私に今の私が寄り添えること。


これが一番大きい、私がヒプノを受けて良かったと思う部分です。



とはいっても


ついついジャッジしそうになる今の視点の私には、


並走して気持ちにずっと寄り添ってくれて、


自分を受け取る手助けをしてくれるあやさんがいる。


泣き出しても、気にしないでいてくれる(笑)。


(←よく泣く私にとってはとても重要なんです)



どんな自分が出ても、


感情が出ても、


否定せずに“そう”であると、


受け止めてくれる安心感がある。


ありがたいなあ、と思います。



今後もきっとヒプノを受けることがあると思いますが、


次に出てくる私の中の私共々、よろしくお願いします。



M様、ありがとうございました!

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