いやしとつながり
「いやし」ってどういうことなんでしょうね。
かわいいものやきれいな景色などを見て
「はー癒されるー♡」というようなことは
わりと誰でも口にしたことがありそうで(私も言います)
それも立派な「いやし」だと私は感じますけど
ただかわいかったり気持ちよかったりすること「だけ」が
癒しではないだろうなあとも思います。
「癒し」が起こる時って
「つながる必要のあるものがつながった時」だと思うのです。
たとえば、なんらかの事情で
自分の気持ちを遮断してしまっていた人が、気持ちを実感しなおした時
自然の力や、身体本来の働きを感じ直した時
過去(過去生を含む)を無きものにしていたけれど 自分の一部として取り戻した時
誰か大切な人(家族やペットや友人恋人など)との未消化だった交流をやり直した時
思いこみや自分に課した禁止令を外して本来の望みに気づいた時 などなど・・・
そんな時に癒しが起きているんじゃないかな~と思います。
何かを取り戻すときには
自分の思い込みや自分に禁止してきたこと
見たくないものや感じたくなかったことに
触れる かも しれないので
「生みの苦しみ」的なつらさが
生じることもある かも しれません。
たとえば
自分の中、奥深くに大事な「泉」があって
そこにたどり着きたいけど
普段は雑草や樹々やその他いろいろなものでさえぎられていて
見えないので
雑草をかき分けかき分け 分け入って行って
ようやく「泉」に触れるようなもので
それまでの道のりで雑草(=不要な思考や思い込み等々)
をきれいにかき分けて入っていくのが
途方もなく遠くて、
しんどいものに感じられるかもしれないのと
同じように。
それでも、今なんらかの違和感をかんじているのであれば
それは「つながり不足ですよ~」というサインが
でているんじゃないかなとも思うんです。
「つながるの怖い」という気持ちもあるでしょう。
怖い気持ちも大事な気持ちなので、
怖ければそのままでもいいと思います。
でも、つながった安堵感やほっとする感覚
「自分」がより深く、豊かに感じられる感覚も
またいいものです。
かわいいものやきれいなものを見て
「わあー癒される♡」となるのも
自分の魂的なものが
それと同質なものを持っていたり
根源的な心の震えを感じたり
それを見た時(欲求とつながった時)に純粋に喜びや深い満足感を感じるから
ではないでしょうかね。
怖いなあと思っていても、
心の深いところで欲しているものなら
つながったときの喜びや安堵感
自分の全体性を感じる経験
そしてその道のりは
それは大きく、かけがえないものだと思います