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  • 執筆者の写真Aarteeni

怒りのその奥の気持ちをみつけよう(二次感情について)

怒りは二次感情、といわれます。

怒りの奥に別の感情(=一次感情)があって、

それらが極まって怒りへと姿を変えてしまう場合がある

という考えです。

別の感情とは、たとえば

心配

不安、

恐怖

悔しさ、

悲しみ

さみしさ、

恥ずかしさやむなしい気持ち、

自分が情けなく、不甲斐ないような、

そんないわゆるネガティブと分類される気持ち。 

わたし自身もよく

夫に対して、心配(一次感情)を

怒り(二次感情)として表現してしまうことがあります。

「昨日寝たの4時?もう若くないんだからさあ(怒)」

みたいな。 

この怒りの奥にあるのは

「体調を崩さないか心配だ」

という気持ち。

ほんとうは、

「身体が心配だから、今日は早く寝たら?」とか

言えばいいものを

「もう若くない」とか、

完全に怒りにまかせた余計な一言ですよ。

(まあお互いに若くはありませんが)

心配がMaxになるあまり

怒りに変化して

「相手を傷つける売り言葉」を

口にしてしまう、ダメな例です(ごめんなさい)。

さて  

この「怒り」、

セラピーの場面ではよく浮上するテーマです。

なぜなら

「怒っちゃいけない」

という抑圧の対象にもなりやすく

癒されてないことも多い感情だから。

「これくらいで怒るなんて心が狭い、不寛容だ、はずかしい」

みたいな認識を持っていたり 

「親や先生に攻撃的に怒られたことが傷になっている」

「だから自分は怒りたくない、人を傷つけるから」

といった経験があって

抑圧されやすいのですよね。 

でも

そうやって抑圧され続けると

それが二次感情であった場合、

その奥にある一次感情も感じられないまま

抑圧されることになります。 

先ほどの例でいえば 

「心配」を感じないまま

ただ「ムカつく」気持ちだけがモヤモヤ渦巻いて

それを我慢しているような状況。

くるしいですね。 

もう少し別の例をあげましょう。

わたしは

過去に亡父への憎しみがあったのですが

(この憎しみは怒りがMaxになったものです)

「親を憎むなんてよくない」

という認識のもと

何年も抑圧していました。

その憎しみを抑圧し、放置していたため

それが夫に転化していたりして

苦しくなったりもしました。

そんな時を経て

憎しみにまで変わったその激しい怒りを

癒そうと

解放しつづけたところ

ようやく

その奥にあった一次感情を「感じられた」のです。

その一次感情は

「悲しみ」「不安」でした。

なぜ、

それらを感じていたのかというと

「安心したいのに脅かされていたから」

「親に守ってもらいたい欲求が満たされなかったから」

です。

「安心感」が守られないことへの、

深い悲しみや不安が

怒りへと変わっていたわけです。

つまり、

ものすごく「安心」を望んでいたんですよね。

でも残念なことにそれが叶えられず

悲しみや不安(一次感情)が生じ、

それが怒り(二次感情)となり、

それらすべてを抑圧して「未消化の感情」となり、

その未消化の感情をどうにか癒そうとする

なにかしらの働き(心や魂の動き)で 

その感情を何度も経験することとなる・・・・

といった経過をたどっていたのですねえ。

ああ苦しかった。 

もし、今 

何かしらのモヤモヤやイライラがあったり、

なんだか怒りが気になる、という場合は

恐れずに怒りを出してみる

次の一歩が見えると思います。 

怒りを出すと言っても、

誰かにぶつけるのとは別のこと。

誰かにそのままのエネルギーをぶつけることで

図らずも加害者になることもあります。

ただ自分を癒したいだけなのに、

加害者になっては本末転倒。 

安全に出す方法としては

ノートに書いたり

独り言を言ったり

セラピーを受けたりするのがおすすめです。

(芸術に昇華する人もいます) 

そうして怒りのエネルギーを出した後に

感じられる気持ちは、

とても幼く情けないような感情かもしれない。

こわいよ、

さみしいよ、

こっちを見てよ、といった

子どものような思いかも。

でも、それが満たされてなかったのだと気がつけば 

大人の自分がそれを自分に提供してあげられます。 

「満たしてもらえなかった」と被害者であり続けることも、

満たしてもらうよう誰かにリベンジを仕掛けることもなく

エネルギーの向け方を間違えて加害者になることもなく 

本当に幸せになれるよう主体的に生きることは

とても力強さを感じられること。 

怒りのエネルギーは、

大事なものを破壊することより

自分の人生を守ったり、

創造することに使えるといいですね。 

そんなパワーを誰でも持っているのだと思います。


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