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  • 執筆者の写真Aarteeni

「傷つく人役」「傷つける人役」から降りたい時に







「思いグセ」と「それを叶える役者」のお話。








これって


「交流分析」でいう


「ゲーム」という概念と


似てるなあと思うんです。








心理学の交流分析でいう「ゲーム」って


ごく簡単に言えば





「こじれた人間関係や


パターン化された対人トラブルを引き起こす


自滅的なコミュニケーション」


のこと。








相手を自分の


「都合の良い世界」の住人として


利用するコミュニケーションです。








「都合の良い世界」って


たとえば





「周りがいつも悪くて、自分は困らされている」


「相手が常に正しくて、自分は間違った存在」


「自分も相手もどっちもダメな存在」


というような骨組みで構成された世界


だったりすることも。








文字にすると


とても苦しい感じですが








でも


うっかりわたしが


「なんでわたしばっかり」


という思いグセにのまれそうだった時





もしそのまま軌道修正をしなければ


「自分ばかり被害を被る、相手はひどい人」


という


「被害者役」「傷つく人役」の世界を


構成し始めることだってできたわけですねー。











もちろん


「被害者【役】」になることと


「本当に被害を被っている」のは別です。





本当に被害を被って


それが現在進行形であったり


過去の痛みが未だ癒えてないために


同等のことが今起きているのなら





まず、しっかりと


自分は被害者だ、傷ついたんだと


認めて嘆くことが大切。





怒り、悲しみ


勇気を出して


自分の気持ちを理解したり主張したり


安全な場所に移動したり


相手とコミュニケーションとったり


痛みをケアすることが


最優先です。








今回言いたいことは、


それが済んだあと、または別物の


「クセ」の話です。


(まだ済んでないな、と


感じられた方は












相手を自分の都合の良いように利用するって


意外と身近に


良く起きているかもしれません。








誰かの独特の世界観の登場人物として


自分の意思と関係なく


その役として見られるようなこと


わたしもたまにあります。








ある程度


「ああこれは相手の思いグセだな」


と気づきはしますし


相手の状況を慮りはしますが


あまりにひどかったら


正直


気持ちの良いものではないですよね。








そういうこと、ありませんか。








なぜかダメな人扱い、


ハラスメントやマウンティングをされる


とか


逆になぜかそういう「役」を


引き受けさせられ


「あなたのせいで傷ついた」


「あなたのせいで不幸になった」と責められる


とか


いつも身内の仲裁役で振り回される


とか


いつも友人と喧嘩別れしちゃう…


など








「うまく説明できないけどなんか不快」


「どうも会うと疲れる」


という出来事が起きる時





そこに


自分や相手の無意識の


「思いグセ」が根底にある可能性も


あるかもしれないですね。








「思いグセ」って


過去の心の痛みから作られたことも多いし


それを持っていること自体が


「ダメなこと」では決してないですし





人はみんな自分なりのペースで


好きな人生を謳歌しているので


今世でどう生きるも自由、です。





が、


もっと自分の人生を


豊かにするチャンスもある


だろうな、と思います。









もし


自分の痛みが癒されれば


もし


相手の痛みによる思いグセに巻き込まれず


相手の問題として関われるのなら





もっと心地よく、平和に


または自由にたのしく


一緒に何かを築いたり、





双方のエネルギーをムダに奪い合わず





その分


自分の本当にやりたいこと、


可能性をもっと引きだすことに


そのエネルギーを向けられるかも





そして引き出された


お互いの素晴らしさを


尊重しあっていけるかも





そんな世界で


生きられるかもしれないなあ


と思うのです。





わたしは、そういう世界の方が好きです。ラクだし!








そうできるのならしたいなあ、と思ったとき


「そのゲームから降りる」


という選択もできますね。








そして降りるための第一歩は、


やっぱり自分の気持ちを感じることです。








前回の料理の件で夫が


「今は自分も疲れているので協力できない」


と正直に表明したことで


わたしも自分の気持ちと


いつものパターンに気づいて


そのパターンを降りられたわけですが





まさに「ゲームを降りる」のって


こういう感じ。


(先に降りてくれて感謝案件!)








自分の状況や気持ちを言うことって


人によっては


勇気のいることだったりするかもしれません。








優しさや思いやりのあまり


「相手も相手の事情があるし」


「断ったら悪いし」


「わがままなんじゃないか」と


考えて





言いたいことや感じることを


飲み込んでしまうことも


あるかもしれませんが





でもそれを表に出すことで





相手や自分が


思いグセに気づくきっかけに


なったりすることも。





当人が苦しいのはもちろん、


周りもその人のクセのために


傷つくことだってありますから。


結果的に


相手のため、お互いのために


なるかもしれません。











さらに


ゲーム回避のもう一つの方法として








せめて自分からゲームを始めることをしないために


自分の思いグセ、


よく陥るパターンに気づいておいたり


自分の気持ちをわかってあげる


自分の心地いい方をなるべく選ぶ


自分で自分をいたわっておく


(過去の痛みも含め) 


のも


とてもいいですよね。








交流分析では、


「ゲームは


ストローク(心の栄養のようなもの)不足


から起きる」


とも言われています。








つまり、


心の栄養不足から


相手の愛や関心・言葉や態度などの


なんらかのエネルギー


(それがたとえ不快なものだとしても!)が


欲しくなったりするために


「いつものパターン」を


発動させてしまう


ケースがあるということ。








疲れている時に


そういうことが起きやすいのはそのためです。








なので


自分に優しい思いを向けたり


心身をケアして


自分で心の栄養を満たせば





不毛に誰かのエネルギーを奪って


自滅的なコミュニケーションを


しないで済むし


うっかりしんどい世界を創りそうになっても


違う世界を選択しなおすことも


できるわけですね。











イラっとしたり悲しくなったり


なんか不快だな、


と感じた時って





「もしやこれは、思いグセではないかな」


「またしんどい世界を構築してないかな」


「相手のしんどい世界の役者になってないかな」



ハッと気づきやすい時。








そして、それが意識できれば


そこから出て


もっと豊かなコミュニケーションや


愛ある世界を創ることは


誰にでもできることだろうな、


と思います。











(わたしもたっぷり自分をケアします!自戒。)

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