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  • 執筆者の写真Aarteeni

依存とコントロール

わたしは結構


代替療法・自然療法が好きです。



昔うつ病を患っていたことは何回か書きましたが、


その時、


西洋医学の治療法である投薬・休養では


どうにもこうにも治らなくて(わたしの場合は、です)


本当にいろんな療法を試しました。



漢方や鍼灸、整体、アーユルヴェーダ


玄米菜食や冷え取り等


「いいな」と思った方法を、20種類くらい…



その20種類の中には、


今振り返れば


ちょっと怪しいと思うものもありましたが


それでもその時は


藁をもつかむ気持ちだったので


ピンときたものはどんどん試しました。



家族には半ば呆れられるほど…。



でも、


その期間


とてもとても大切なことを学んだんですね~。




それは、


「どの療法もそれぞれ正しい」という事



そして、


「だから自分に合う、良いと思う方法を選ぶのが一番」


だということ。



そしてさらに


一番今の仕事に役立っていると思うのが



「人がどの方法を選ぶか、


どの道を通って


どの位の期間をかけて癒すのかあるいは癒さないのか


他人は(家族であっても)コントロールできない」


ということ。




わたしが病気だった10年ほど前、


家族も同時にバタバタと病気になって


倒れていったんですが



その頃、わたし


家族をコントロールしようとしてたんです。



それは、


「この人たちが健康にならないかぎり


わたしは幸せになれない」


という、


依存心があったからこそ生まれた


コントロール欲。





いやいや自分をまず治せよ!





と突っ込みたい話でしょうが、


その時はもう、


自分で自分を支えられない位つらくてつらくて


他人の支えが欲しくて欲しくて


たまらないくらい、


心細かったんですよね~。




「人は変えられない。


変えられるのは自分だけ。」




それはよく言われることで


わたしも知ってはいました。



でも、



「自分の方がいろいろな療法を知っている」


「だからそれを知らない家族に教えてあげないと」


「あの治療法では、どんどん悪くなってしまう気がする」



と恐怖や不安でもういっぱいいっぱいになって、


あたまで知ってる知識などふっとび



家族の病気への向き合い方を


尊重できなくなっていたんです。



最初こそ相手の健康を願う気持ちだったのですが


だんだんと病気が長期化していくことで


「あなたのやってることは間違いで、私の方が正しい」


とい思いになっていき


「私はOK、あなたはNO」


な否定的なメッセージを


図らずも発することになってしまってました。




傲慢でしたね。


これでは、治癒力もあがりませんね。




しかも、そんな気持ちが


「治ってくれないことには、私が幸せになれない」


という不安ベースの依存になっていき、


依存した結果


相手の病状に振り回される(コントロールされる)ようになり、


振り回されるから


こちらももっと強くコントロールしたくなる…という、



もう


泥沼か


地獄絵図か、


というような苦しい状況になっていきました。





_| ̄|○、;’.・ オェェェェェ


(苦しかった…)





あまりに苦しかったので、



これはヤバい



と思いはじめたことで


自分がどんなメッセージを発しているのかを理解し


依存心を手放し


自分を自分でケアする方向に意識を向けたことで


ようやくすべてが快方に向かっていきました。




苦しかったけど、


でもこれを身に染みてわかっていない状態で


仕事を始めてしまって、


それらの気持ちをクライアントさんに向けていたら…と思うと


ヒヤッとします。




家族に向けた自分の心の


「見たくなかった」部分を


イヤという程見られたことは


当時は苦しかったし


家族には申し訳なかったけど、


今思えばその時通っておいて、本当に良かった…。




何が福となるか、わからないですね。





親子、夫婦、親しい人同士で


依存する気持ち、


自分の思う通りになってほしい気持ちが


湧いてしまう事って


割とよくあることかもしれません。



親しければ親しいほど、


境界線がなんとなく


ぼんやりとしてしまうのかもしれないし



どうしても、


その方の魂の道筋によって


それを経験することが


必要なケースがあって


親しい人の胸を借りるようになってしまうことも


あると思うんです。



実際経験しないとわからない事、


納得できない事。


満たされなかった子どもの頃の思いが


成仏できない事や


それを通して学ぶ事。



自分の本当にやりたいことに向かうために、


そのトンネルをくぐらないいけないような事。


成長のための通過儀礼的な事。




そういうことって、やっぱりあります。




だから、一概に


「良くないからダメ」


「いますぐやめろ」


というものでもない気がします。




人が、


どんな方法で病気に向き合ったり、


課題を越えたりしても


なんでもOKなように 



それをコントロールしたくなったり


おせっかいしたくなったたり


感謝されたかったり


人や物に依存したり、


ひとりでいられなかったり


自分だけが正しいと思っちゃったり


承認欲求が強すぎてしまったり。




それらも、きっと魂レベルの


大きな視点でみたらOKで、


経験する価値のある、大切なことなんでしょう。




でも、当然


自分や相手が苦しいのなら、手放しても良いもの


でもあります。



そうすることで


自分が心穏やかに日々を送れたり


相手の自由を尊重できたり


お互いの関係性が良くなったり



どうもこちらが幸せそうかな、


と感じる方へいけそうなら


そうした方がよいかもしれません。




そしてもちろん、


それらを向けられた人もガマンしろという話でもなく


「NO」という自由だってもちろんあります。




特によくうかがうのは


「親や配偶者にコントロールされて苦しかった」


というお話。



その息苦しさや不自由さ、


悲しさ、怒りも


そのまま尊重するべきものでしょうし


NOと伝えて止めてもらえないなら、


丁度良い距離まで離れるのも自由です。



またさらに、


自分の思考が、心をコントロールし過ぎてしまう、


というケースもありますね。


以前インナーペアレントの記事を書きましたが、


これは自分の内側で


依存とコントロールが起きている状態、


ともいえるのかもしれません。



思考のコントロールを、


心に我慢させ続けていてはいつか無理がきます。




図らずもそういう気持ちを持ってしまうのもOKだけど


それにNOをいうのも当然OK。



相手や自分がそれでは苦しい、


もっと大切にしたい、


またはもっと上手にNOと言いたい、


という気持ちがあるなら


自分の心の中を見つめたり、


表現を工夫したり手放すのもOK。




依存やコントロールは、


わたしはクライアントさんに向けないようにしてますが


それそのものを


「悪いこと」で


「やってはいけないダメなもの」


と断罪したりジャッジしたりするよりも



「それであなたや相手が幸せになるのかどうか」


という視点でみるのがいいのかな、と思っています。




どうするのが自分や相手は幸せなのか、


それを感じて選べる自由が


わたしたちにはあるんでしょうね。




ちなみに


今書いていて思いだしましたが


20種類もの方法を試しに試したこと、


そういえば誰にも反対されなかったんですよね。


(呆れてはいましたが) 




尊重されていたんだなあ。




そのおかげで大事なことを学べたので


ありがたいものだなあ、と思います。


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