『千と千尋』と「名前を奪われること」について
『千と千尋の神隠し』
地上波でまた放映されていたので飽きずに観ました。
若干頼りなさげなある少女が不思議な世界に迷い込んで成長していくお話ですが
台詞や暗喩が興味深く、その時々で感じ入る部分が異なり
私はジブリ作品の中でもかなり好きなお話です。
いろんなシーンや登場人物をピックアップしたい気持ちではありますが
今回は「名前を奪われ、また思いだすこと」に焦点をあててみました。
湯屋の世界で千尋は
「今日からお前は千だ」と本当の名前を奪われ
違う名で呼ばれることになります。
ファンタジーの世界では
「名前」は結構重要ファクターとして出てくることが多いですよね
(史実で近いものが存在しているからかもしれませんが)。
魔法=本当の名前を見つけることであったり
正体を見破るものであったり
支配するものであったり
それゆえに親しい人以外には本名を言ってはいけない決まりになっていたり。
名前は、そのものや人の本質・アイデンティティや魂の象徴なんでしょうね。
だから名前を奪われると自分自身が何者であるのかがわからなくなり
名前を思いだすことで自分を取り戻すことができるのでしょう。
千尋やハクが本当の名前を思いだし、自分の場所に帰れたように。
しかもそれは誰かに教えてもらうものではなく
「自分でやるしかない、それが決まりだから」
と銭婆が言っている通り
自分で思いだすのがたぶん自分的近道なのです。
名前を奪われることって、
このいま生きている現在の世の中ではほぼないように思われますけど
例えば
「おまえは○○な人間だから」
「あなたっていつも××」
「△△という立場なら~するべき」
というようにラベリングやカテゴライズされたり・したりすることは
多少なりとも経験したことがあるという人
結構いるのではないでしょうか。
自分にとってそれが好ましかったり自分らしく思えればポジティブに利用できますが
違う系統のものだとどうでしょう。
しかも
重要人物だと自分が感じる人から言われたり
何度も繰り返してそう投げかけられたりすると
名前を奪われるのと同じレベルのダメージを
受けることもあるんじゃないかと思います。
「自分って○○なんだ。だから~できない(あるいはしてしまう)んだ」
「△△という立場なら絶対~しちゃいけないんだ」
と思い込んで
自分で自分に催眠をかけてしまうような
ネガティブな信条を持ってしまう場合もあるかもしれません。
それはどうやって解けばいいのか?
というのも銭婆がヒントをくれてます。
「あったことは思いだせる」と。
思いだし、それとつながったり、本質はなんなのかを確認すれば
千尋やハクのように「名前(=自分自身)」を取り戻せるかもしれません。
ただ、それは思いだしたい場合のみ、です。
思いださない事情
思いだしたくない理由や
気付きたくないタイミングがある人には
そうして生きる自由もあります。
どちらがいいとかわるいとかではないのです。
この映画の主題歌でもある「いのちの名前」にこんな歌詞があります。
「秘密も嘘も喜びも 宇宙を生んだ神様のこどもたち」
うーん、いい歌詞ですねー。
どんな状況や側面があっても、神様のこどもだからいいのかもしれませんね。
でも次の歌詞もいいです。
「未来の前にすくむ心が いつか名前を思いだす」
ふと立ち止まりたくなったとき、あるいは切羽詰まったり悩んだりしたときは
本質を思いだすタイミングなのかもしれないですね。