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  • 執筆者の写真Aarteeni

子ども時代をとりもどす

「子ども時代をやりきるのが大切」


というフレーズに出会って


そうそう、


それが自分らしく生きるために大事だよなあ・・・と思い


ちょっとそれについて書きたくなりました。





「子ども時代をやりきる」って


ピンこない方には





「はあ?みんな子ども時代を通ってきたんじゃ…?」





という感じでしょうが





「そうそう、私子ども時代がなかった」


「子どもらしく過ごせなかった」





と、うすうす感じる方もいらっしゃるんです(わたしも昔そうでした)。








そもそも


「子ども時代をやりきる」ってなんなんでしょう。









めいっぱい遊ぶこと?


かわいがられて大事にされること?





それももちろんそうでしょう。





でも、


「まあ、それなりによく遊んでたし」


「塾も習い事も行かせてもらって、かわいがられてたと思う」


「別に、叩かれたわけでもないし」





「・・・それなのに、なんだかおかしい」





というモヤモヤ感を感じる場合もあるかも。








そんなときは


「自分の子どもとしての欲求を(自分の思うように※)満たされていたかどうか」


と考えてみてもいいかもしれません。


 





「子どもとしての欲求」。


それはなにも我儘なものではなく


 


適切に食や睡眠など身体の不快感をケアされたり(生理的欲求)


心や身体の安全を守られたり(安全欲求)、


家族、仲間としての意識を持ちたい気持ちを尊重されたり(社会的欲求)、


承認欲求を適切に満たされ、注目・達成感を得たり(承認・尊厳欲求)、


自己実現ができるよう歩めたり (自己実現欲求)


という





「マズローの5段階欲求説」


にあらわされるような


人として基本的なこと、かもしれないです。


(もちろん発達の他の視点で捉えることもでき、ひとりひとり違うのは前提として。)








もし、保護してほしい存在から


食べる、眠る、排せつ等の生理的な欲求を極端に無視・コントロールされたり


常に比較やダメだしされたり、暴力(目撃も含む)にさらされたり


「あなたなんかいないほうが」「男の子のほうがよかった」


なんてメッセージを受けていたり


頑張って良い結果をだしても評価してくれなかったり(又はその時のみしか評価されなかったり)


やりたいことをことごとく否定されたり





なんてことがしばしばあったら


この欲求は適切に満たされていないかも?


という見立てもできるかもしれません。





さらに


家族内でこれらの欲求が満たされてない存在(たいていの場合親ですが)の


代わりに満たしてあげる側になる、


つまり


親子の役割を交代していると





かなり


「子ども時代、やりきれてない」感


「子ども時代をなんだか搾取された」感が


色濃くなるのかなあと感じます。








「役割交代」、


子どもなのに大人や、親の役割をさせられるということ。





そんなことある?


と思う方も、


アダルトチルドレン(機能不全家族で育った子)の概念を


イメージしてもらえればわかりやすいかもしれません。





 


親を精神・身体的に支えたり(アダルトチルドレンでいうケアテイカー、リトルナースなど)


親の虚栄心・承認欲求・自己実現欲求をかわりに満たしたり(ヒーロー、プリンスなど)


家族の安全・存続のために明るくふるまったり感情の世話をしたり(ピエロなど)


家族のバランス・存続のために影の役割を買ったり(ロストワン、スケープゴートなど)。








具体的に言われると、思い当たるなあ…


と感じる方もいらっしゃるかも。


(ちなみに私は、ケアテイカータイプでした)


 





けれども。





機能「万全」家族なんて存在しないのでは?


と言われるくらい


多かれ少なかれ


家族というシステムにはそういう面があるのかもしれない。





親自身も代々そういう家系で育ったり


あるいは病気の家族がいたり


経済的・環境的な問題があったりと


そうならざるをえない事情があったかもしれません。





そして、


親だって親なりに一生懸命子育てしているのも


また事実かもしれません。





それで


優しいあなたは


「だから仕方なかった」


「親にも親の事情が」


「あれは学びだった」と


今まで自分を納得させようとしてきたかも。











それでもなお、です。





「仕方ない」という思考で


満たされてない感情を


なきものにしなくてもいいんです。


(なくなりませんし)





そして


親を愛し、感謝してる気持ちと


満たされない欲求があったことは


共存していいんです。








「子ども時代がなかったかも」


と思いを馳せるのは





「だめな親と、被害者の自分」


というストーリーを


確固たるものにするためではなく


 


「子ども時代をやりきれなかったあなたの事情」と、


「そこで生じたあなたの気持ち」を


「しかたない」と思考で消さず


ありのままに認めて昇華し、


必要なら認識をかえ、


やれなかったことはこれから満たし、


自分らしく幸せに生きる土台を自分で作るための





とても自立的で前向きな


「ふりかえり」です。





むしろ、


自分らしい人生を送りたいと心から願う人なら


どこかの時期でふりかえるタイミングが


やってくる気がします。





(なぜなら


さきほど、マズローの5段階欲求に触れましたが


あの説では


下位欲求(生理的欲求)が充分満たされてから


次の段階の欲求(安心や承認など)へ進む、


と言われています(諸説あり)。





つまり


下位欲求が本音や感情レベルで充分満たされないと


上位の「自己実現」も本当の意味で満たされない。





そのことを潜在意識で感じとっているのでは・・・


なんて、感じます。





「まず自分を満たそう、大事にしよう」


「そうしたら自分を生きられる」





というのはスピリチュアル分野だけでなく


心理学でも言われてきたんですね)











「子ども時代をやりきる」ために


何が満たされていないのかを知り





やみくもに自分を甘やかすことも


やみくもに誰かを加害者・被害者にすることもなく。


(一時的に必要であればそうするのもあり!)





着実に進めば


子ども時代という土台は


大人の今からでも、自分でやりきり、取り戻せます。





むしろ大人だからこそ、できるのかもしれない。








欲求が満たされなかった自分の


悲しみ、怒り、孤独やさみしさ、絶望・・・


いろんな未消化の感情を感じ直し


手放し、


ゆるやかに視点を変えるそのプロセスも





自分を受け入れる自己受容の道、心の成長の道を


着実に歩んでいることになります。





その道は


時にしんどいかもしれないけど


とても豊かで、奥深く


のびやかに希望にあふれているような


そんな印象を、わたしは受けます。











※ご自身も親の立場である方が「自分の子育ては間違ってるのでは」と


必要以上にご自身を責めることがないといいなあと思いつつ。


これは「自分の思うように」というのがキーで


どんなに愛情注いで一生懸命子育てしても


子の欲求とズレができるケースもあり


それはもう、ある程度仕方ないことかなと私は思います。


完璧はなく挽回可能なので


まずはご自身のケアから、と思っています。


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Aarteeniのインナーチャイルドセラピーは


ヒプノの退行催眠をベースに


潜在意識下にしまわれた感情や記憶を癒し


未来につなげるサポートしていきます。

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