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執筆者の写真Aarteeni

それは八つ当たり

時々話題に上ることがある、いじめやつらい人間関係などのお話。





子どもの頃いじめにあった、とか


「いじめ」とは言わないけれど


職場でハラスメント的ものを受けたとか


理不尽なクレームがつらいとか


家族や友人間での傷つく交流が哀しいとか。





しんどいですよね。





自分を理不尽に傷つける人に対して


「なにあの人?関わらないでおこう」


と距離を置いたり


「そういうのやめてくれますか」


と言う方もいれば





「自分にも直すべきところがあったのかも」


「自分はそうされても仕方ない存在なのかも」と


一生懸命考え続けて


どんどん疲れてしまうケースもあります。






自分を振り返るのは素敵なことだと思います、


でも


「直すべきところ」って


ほんとにあったんでしょうか?


もちろん、ひとつひとつのケースはみんな別物ですから


すべてそうだとは言いませんが


お話を聴いていて





「そんなの相手の八つ当たりじゃん」





と感じることが私は多いです。





百歩譲って反省すべき点があなたにあったとしても、


そういう言い方やふるまいをしなくても


普通に伝えたり「住み分け」することはできます。





暴言吐いたりいやがらせする必要ありますか?


ないですよね。





でもそうするしかないのは


相手が心の中で起こっていることをダダ漏れさせているからですよね。





自分自身の不安


自信のなさ


何かへの不満


恐怖や


怒りや


悲しみ 





こういう気持ちを自分で把握し理解して


衝動レベルにまで溜めずにいられたら 


暴言や嫌がらせ等にまで発展しないんじゃないかと私は思います。





でもそうできないから「いじめ」「ハラスメント」をする。


自分の心の問題を


問題と関係のない相手にぶつけています。





八つ当たりじゃん、と思うわけです。





心ならずもハラスメントをしたことのある側の人は


「問題と関係なくなんかない、××という所がわたしはムカつくんだ」


と思うかもしれません。





ムカつくのは構いません。


でも普通に改善をお願いしたり一線を引く選択肢もあるなかで


それができないくらい気持ちがあふれて言動に表してしまう


その理由はなんなんでしょうか。





本当は誰に、何に対して腹をたてたり


何に対して自分の立場や自由が脅かされそうで怖くなっていたり


どんな消化できていない悲しみがあふれ出ていたり





しているのでしょうか。 


自分自身の許せないどんな側面を相手に投影して


複雑に絡まった気持ちを整理できなくてどんな気分なんでしょうか。





そしてこれらを考えなきゃいけないのは誰なんでしょうか。


ハラスメント側ですよね。





なので受けた側の方は


「自分にも悪いところが・・・」


と思ってもいいのですが


「八つ当たりに使われた可能性もあったな」


って思ったっていいんです。





「使われた」なら腹を立てても悲しんでもいいんです。


道具じゃないので。


人ですからね。





そうして


十分に腹をたてたり悲しんだりして


自分の気持ちを感じてから


「じゃあこの先自分を守るために何ができるか」と


考えて行けばいいのではないかと思います。





気持ちを感じていく中で


もしかしたら


自分自身も心になにか発見するかもしれない。


でもそれは


当初一生懸命考えていた


「自分の直すべきところ」とは少し違うかもしれません。





もっと自由で力強いような、


自分の味方であれるような何か素敵なことかもしれません。








そして図らずも「する側」にいたことのある方も。


「いじめはしないけど、八つ当たり?うーん、する・・かも・・・」という方も。


それを見つけたいと心から思えばそうできると私は思います。





程度の差はあれ、誰でも、どちらにもなり得る。


それは私も同じです。



でも、誰でも、もっと自由で楽にもなれる。


私は自由で楽なほうを選んでいたいです。

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