『夫のちんぽが入らない』~入らないから入れるところがある
『夫のちんぽが入らない』こだま著。
ネットニュース等でとても気になっていたところ
友人が
「感想を言いあいたい」
と貸してくれたので、喜んで読みました。
表現にユーモアがあって
主人公をとりまく状況は
結構大変であるにもかかわらず
何度も吹き出してしまいながら
あっという間にページが進んでしまいました。
「普通」という観念と向き合う
という点では、
とも通じるものがあるような印象もあって
最後の数行に書かれた
「私」の独白には深く共感。
「私は目の前の人がさんざん考え、悩みぬいた末に出した決断を、
そう生きようとした決意を、それは違うよなんて軽々しく言いたくはないのです」
「人に見せていない部分の、育ちや背景全部ひっくるめて、現在のその人があるのだから」
P195
人生の選択や事象は
本当に氷山の一角的なところがあって
そこにたどり着くまでの悩みや葛藤は
たいてい他人には簡単に見えません。
家族であっても。
だから
「○○という選択」
「○○という気持ち」
だけを見て
「普通じゃない」
「おかしい」
とジャッジするのは
とても浅はかなことに思うんです。
でもきっと
「普通」は無数に、
様々なジャンルに存在するので
無意識に「普通」を選択して
疑問や葛藤の機会がなければ
誰でもうっかり悪気なく
(え、普通そうじゃない…?)
なんて感じてしまいがちなのも、
また人なんでしょう。
だからこそ、主人公の「私」は
「それがわかっただけでも、私は生きてきた意味があったと思うのです」
と深い自己受容の地に立てたし
「入らない」からこそ「入れる」、
ある心の境地に入れたのだと思います。
題名が多少衝撃的ではあるけれど
これは当然、
性的・身体的な話にかぎらず
子どもを持つ持たない
結婚するしない
彼氏いるいない
正社員か否かなどの雇用形態
家族とは、母とは、妻とは「こうあるべし」の観念
病気や障害のあるなし
などなど
世の中にあふれる
「普通」や「マジョリティ」の輪に
「入れない」ことで悩んだ人や
「入らない」ことを決めた人には
響く作品なんじゃないかなあ。
そんな人は、
悩みに悩んで
「普通」の輪に「入ろう」と策を探し
何度も泣いたかもしれない。
努力して「入れた」場合、
それはそれで幸せだと思います。
でも
努力しても
「入れない」「入らない」と静かにあきらめた時、
主人公のように
「自分を受け入れる」
「他人を受け入れる」
という
穏やかで安堵するような場所に行けた
という人も多いはず。
「救いのない話」だなんて
この本を評価する人もいるけど、
私は
これこそ大きな救いじゃないかと思いました。
賛否両論あるであろうこのお話、私は好きです。