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  • 執筆者の写真Aarteeni

身体の意見を尊重する


今はどうか知らないけど

ひと昔前は 「花粉症は1度発症したらもう治らない」 と言われていましたね。

多分ある視点から見たらそれは正解なのだろうと思います。

でも、

別の視点から見たら そうではない場合もあって 今は症状が出ないと言う人もいます。

人の身体は 環境や思考や感情や生育歴や 生まれ持っての体質諸々で変わってくるので ひとつのマジョリティのものの見方を

すべて自分に当てはめなくてもよいと思うのです。


たとえば トマトはリコピンという成分が含まれているので

美肌効果があると言われ

その通り一定数の人は美肌になるけれど

陰の野菜だから身体が冷えて肌荒れを起こす体質の人もいます。

うつ病は完治しませんよ、寛解はするけどね

という考えもあれば

生き方を変えるチャンスと捉えて人生見直せば治る

という考えもあります。


ガンになったらまず三大治療です

という考えもあれば

別の治療法がよいと思う、それで治った、

と言う人もいます。

メジャーな正論が当てはまる人もいれば そうでない人もいるのは当然。


それはどちらが間違いということではなく それぞれの見解は、 それぞれの人にとって正解なのです。

A社のすごい成分の化粧水でお肌つるつるになる人と A社のはちょっと肌に合わないという人がいる、

というのと 同じくらいなものではないでしょうか。

色んな考えがあるうちの

どれが自分にあっていて、

どれを選んで生きたいのか


というだけのことなのです。

そしてその選択はどうやるのかというと

自分に聴くしかないように思います。

化粧水やトマトが肌に合うか合わないかは

自分で試してみればいい。

これはいい商品のはず! ◯◯皮膚科医推奨だし! とか顕在意識で思っていても

身体(潜在意識)は

違いまっせ。

と、ブツブツが出るなら


そっちに従うほうが自分にとって心地よいでしょう。

それはその商品がダメなのでも 自分がおかしいのでもなくて 今の自分には合わないというだけ。


たったそれだけのことです。

試してみる、という気軽な選択ができない時は

なんかおかしい

なんかいい感じ

この考え方は好き、嫌い

なんとなく信用できそう

どうもいやな感じ

身体に合ってる気がする

負担かけるけど上手く行きそう

という感覚に頼って決めたっていいんじゃないかなと思うのです。

もちろん全部感覚で行くべし、という話ではなく

データを信じるのもいいし

評判も参考になりますし

論理的な説明を知らなければ判断できないこともあります。

でもそれだけで決定するのではなくて

これはなんか上手くいきそうだ と信じられるものを選んで

なんかいい感じ

なんかよくなってる気がする

と感じながらそれを実行する方が

治癒力上がったりよい方へ向かうんじゃないでしょうかね。

だって自分の身体なのだし。

身体の感覚を抜きにして 身体に何か働きかけるより

その選考会議に参画させたほうが


身体も協力して治癒力上げてくれるように 私は思います。

(途中で違うと思えばやめるのもアリだと思うし)



もしそれすらわからなくなった時は


好きなことしたり

寝たり

気持ちの良い所に行ったりして

本来の自分の身体はこういうのが気持ちいい

本来の自分の心はこういうのが好き

という感覚を感じ直します。


そうすると

なんかこっちかも

とわかってくることが多いです。


そしてそれがわかったら

その意見を受け止めつつ

他の意見も参考にしつつ

選択したいやり方、考え方を選べばいい。


そんなふうに私は思います。




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