Aarteeni
「病気以前」の自分より
「ほぼ日」の中に
こんな胸を打つインタビューがありました。
パニック障害を「個性」とおっしゃる
オリックスの小谷野選手の対談記事です。
共感できるところ、学ぶところ、
いっぱいあるなあと思います。
「これだけ練習していれば、
そりゃこういうことも起きる」
「パニック障害になったのは、
自然体に戻るいい機会」
「自分をほめる」
「前に進むための休息時間」
「この経験があって、
弱い部分、恥ずかしい部分出せてるから、
今の自分のほうが好き」
「自分ひとりで乗り越えられたわけじゃない」
そして
「過去の自分に戻りたいとは思わない」。
もう共感できる言葉の数々、という感じ。
パニック障害ではないですが
わたしも昔
うつ病を長く患っていたことがあって。
でも
その時期を遠くに感じる今は
まさに同じこと思ってます。
もちろん
プロ野球選手ほどの
プレッシャーはまったくありませんけど
知らず知らずに
自分に負荷をかけすぎていたこと
自分の「理想像」と「自然体の姿」が
かけ離れていたこと
寝たきりで
なにもできなくなったところから
再スタートしたので
昨日より一つでもできるようになったことがあれば
自分をほめたこと、
元気だった頃より
「後退した」「弱い」と
発症当初こそ思ったけど、
だんだんと
できない日があっても
「今は休息の時期」と自然に思えるようになったこと、
そしてなにより、
病気の経験を通して
「今の自分の方が好き」と思えること。
似ているなあと思います。
病気を通して、
いや病気じゃなくても
いろんなつらい出来事を通して
同じようなことを感じている方も多いのでは?
ここからは自分のことになりますが
病気以前のわたしは、
安定した職について
でも激務というほどでもなく
仕事終わりにボランティアとかもやってて。
周りの人にも恵まれて。
それなりに充実して楽しく過ごしてました。
でも、
病気以前の自分には戻りたくない。
なぜなら「かなり無理してた」からです。
子どもの頃からの癖で、
つらいとか苦しいとか
やりたくない、嫌だ、という感覚を
「そんなことをいちいち感じてたら
生き残っていけないじゃん!」と
無視するのがデフォルトになっていて
インナーチャイルドの怯えや不安、怒りの気持ちを
そのまま放置して
でも放置していることにすら気が付かず
その怯えや不安を主な原動力にして生きてました。
「生きる」というより
必死で「社会に適応」していたんです。
自分や自分の感情という土台が
スッカスカなまま
周りに合わせた高い建物を建てていた感じ・・・。
そりゃまあ当然、崩れますよね。
そのうえ、体調も悪いのに
あがいてもあがりても
ズブズブと落ちていくばかりのような、
大混乱の出来事がたくさん起きてしまって。
その混乱も内面の反映ではあったのですが
もう、
頑丈に封印したはずの過去の気持ちが
刺激されるような痛みを何度も味わいました。
「ここまでやっても、まだそれに向き合わないの!?」
と突きつけられてるような感じ。
いえ、「感じ」ではなく
突きつけられていたんだと思います。
誰にかっていうと、自分自身に。
自分自身って、
インナーチャイルドでもあると思いますし
「コーリング(calling、魂からの呼び声))」
ともいえるのかもしれない。
「本音に気が付いて」
「この痛みがあったことを無視しないで」
「さもないともっと強烈にシグナルを送るよ」
と、厳しい愛のムチのように自分に戻すもの。
わたしは相当不器用なもので、
ここまでのことが起きないと
なかなか気が付けなかったうえ
「元(病気以前)に戻りたい」と
おかしな頑張りをよくやってしまっっていたので
そのたびまた体調を崩したり怪我したり…と
結構な頻度で
愛のムチが飛んできてました。
「普通」「マジョリティ」でありたい自分が
怯えのあまり、
抵抗し続けていたんですよね。
でもようやく、そのおかげでだいぶ戻れたんです。
病気以前の「普通」な自分ではなく
本来の姿に近い、自然な自分に。
時間もかかりましたけど
あの病気以前の、
「ああ、このまま夢もあきらめて人生終わるのかな」
なんて、
まだアラサーなのに(!!!)
「人生もう決まっちゃった感」をぼんやり感じてた頃より
はるかに幸せに自分を生きられてます。
だから、その時期がなかった自分より
それを通過した自分でよかったと
こころからそう思っています。

今、病気に限らず
いろいろなしんどい状況に
追い込まれている方もいらっしゃるかもしれない。
絶望したり、
落ち込んだり、
悲しんだり、
とても苦しいでしょうね。
そういう時は、
あたまで無理にポジティブに考えたり
自分が苦しくなってしまうような
自己啓発やスピリチュアル的な意味づけはせず
ただ泣いたり
怒ったり
打ちひしがれたり
誰かを傷つけなければ
心に浮かぶまま
一時誰かのせいにしたり
恨み言を言っても
全然いいと私は思います。
ただただ、何も考えず
一日一日をしのぐように過ごすことが
必要な時期もあると思います。
でも、
その気持ちを十分に味わい
何もできない時期をも存分に受け止めたら
「生きかたを変えるチャンスが来たのかも」
「自分の中からのコーリングに応える時期かも」
という受け止め方も可能だ、と
思いだしてほしいな、とも思います。
出来事には陰陽の両面があります。
十分に、深く嘆き悲しんで
「陰」「闇」という言葉が似合いそうな時期を
心ゆくままに味わったら
それと同じくらいの大きな気づきや
その深さと比例するような転換期や
優しさや思いやり
勇気や決断力が
うまれてくるかもしれない。
自分へのまなざしや
仕事や家族や趣味などへの向きあい方を
自分らしく変えて、もっと豊かに生きる
そんなチャンスなのかもしれない。
そんな「陽」「光」の方に
焦点をグッと切り替える力も
自分には備わってることを
忘れないでほしいなと思います。
変化が苦手で、
生きかたを変えるのも相当怖くて
打ちひしがれた気持ちを
ずーーっと長い期間味わってたわたしにも
その力、
どうやらあったんですから。
今苦しんでいても
きっと大丈夫です。