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  • 執筆者の写真Aarteeni

理想の先に

冬季オリンピック、感動的でしたね~。


パラも楽しみです!





今までわたし、フィギュアスケートが一番好きで


注目する競技だったんですけど


今回はカーリング女子の笑顔と競技の面白さにやられました。





特に3位決定戦。


日本のラストストーンが


理想的な位置につかなかった事で


投げた選手は「負けたと思った」と後に言っていました。





でも、その後そのストーンに対しての


英ベテラン選手の一投が


まさかの展開を迎えて、銅メダル・・・。








もしかしたら勝負事(将棋などもそうなんですかね)では


よくあることかもしれないのですが


 興味深かったです。






理想通りいかなかった


ミスした、負けだ


もうだめだ


と思ったのに


それが何かを引き起こして、結果、自分にとって良い展開に!





みたいなことが、起きるということが。





そういうことありませんか?


勝負や競技に限らず


何かに失敗した


大きい病気になった


離職したり、親しい人と別れた


アイデンティティが崩壊した


自分の理想としているものに自分が近づけなかった…


というような、残念で不本意なこと。





それが起きた時は


本当にがっかりして


ああなんでこうなったんだ…と思い


あれがいけなかった、もっとこうすれば、と自分を責め


時に誰かを責め、運命を呪い


絶望したり罪悪感を感じたりするかもしれない





でもどうにかこうにかして、


時間が経ってみれば





あれ?


あの時あれがなかったら


今これやってないし、ここにいないかも…





という展開になったこと。





大なり小なり、ありませんか。


 





その出来事の衝撃が大きかったり


失ったものが大きかったりすればするほど


感情は揺さぶられ、つらいです。





勝負事と違ってすぐに結果は出ないので


それが数か月、数年に及ぶ事もあるでしょうし


揺さぶられるのに耐えきれず


気持ちがフリーズしたり、何かに依存したりする事もあるでしょう。





でも、揺さぶられた時に


正直な自分の気持ちを見つめたり


「あーもういいや・・・」と何かを手放したり


淡々とできることをし続けた方は





まるでストーンがどこかに当たって 当たって


結果、流れに乗ったように


ちょうどいい所におさまるような





そんな事も起こり得ます。





それは


自分個人のあたまや思考で考え出した


これが良いはず


理想的なはず


という枠組みを大きく超えたもの。





自分の生きてきた数十年間の中で作った


思い込みや制限を超えて


「あれ、本当はこれが欲しかったのかも・・・」と


しみじみと受け取れるような素敵なもの。





それが何なのか、今はわからないかもしれません。





でも、


「そういう展開だってあり得る」


「このことが、もっといいことに結び付く可能性はある」


ということを


あたまの片隅に置いておいてもいいのかもしれない。





しばらくは泣いたり落ち込んだり


無気力になったっていいと思います。


 


けれどそうして少しだけでも気が済んだら


「本当の望みはなんだったっけ」


「どうなったらわたし嬉しいかな」


「さて、これはどういう展開になるんだろ?」


などと、違う視点で自分を見ると


制限を超えた分だけ、大きな可能性をもった自分に


なれるかもしれない、と


思います。








自分の思い込みの枠内って自分の見慣れた世界でもあります。


だから出るのもちょっと勇気がいる。


ショックなことが起こらない限りは


出られないくらい、大事なものかもしれないです。


今まであなたを守ってきたものでもありますし。


でもその中で見る「理想」も、やはりその枠の範囲内でしかないのかも・・・。





だから今起きてるそのショックなことは


「その枠まだ必要なの?」


「もう出てもいいよ」


「もっと、いいものを受け取ってもいいよ」


と愛をもって呼びかけてくれる、なにか大きなものかもしれないですね。




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