top of page
  • 執筆者の写真Aarteeni

「こんなこと思っちゃダメですよね?」

なんとなく昨日の続きですが


心の中は自由なのでどう思ってもいい、


と書いたりお話ししたりすると





「でもこんなひどいこと思っちゃダメですよね?」


「そうはいっても、こんな気持ちになるのはやっぱりおかしいと思う」





と感じる方もいらっしゃいます。






あまりにも自分が受け入れがたい気持ちとか


社会的に良いとされていないこと


その気持ちを持つことで自分(または誰か)が苦しくなることを


感じたり思ったりすると


「こんなことを思う自分は良くないんじゃないか」


と思われるのも


もっともだなあと思います。





私にもありましたよ、


「病気の人(家族)に対してこんなに怒るのはどうかしている」


みたいな


「この気持ちを持つ自分おかしい」という気持ちが。


 


もしかしたら育児中、介護中の方も


「母だから」「妻だから」「相手は要介護者だから」


「こう思ったらよくない」という感情があるかもしれないし





会社等の組織やコミュニティの中での


「上司なのに」「後輩の立場で」


「お世話になったのに」「せっかく~してくれたのに」


「こんなこと思う自分はダメ」みたいな


なんとなくの縛りがあるかもしれない。





でもなあ。





「こんなことを思う自分はダメ」


「こんなふうに思っちゃいけない」


と、自分の気持ちや


そう思う自分自身をすぐ否定して終了にしても


あまり広がりはないとも思うんです。





否定したい方はそれでもいいんです。


自分を否定することで、


変わりに得るものがあるケースも十分あります。


だからこそ否定したくなるわけで、


そちらを選択することで自分を守る自由もありなんです(本当に守れるならば)。





けれど


そういう気持ちが芽生えたらすぐさま


「これはダメな気持ちだ!」


と瞬殺せず


「そう思う自分にも事情がある」と


気持ちの背景を見てあげてもいいと思います。


感情に関しては色々な視点があるので、一概には言えませんが


「背景を見る」というのは





ものごとの認識の仕方(認知)やフィルターが


どうなっているのか


同じような気持ちが過去に溜まっていたり


とても傷ついた経験が残ったままになっていないか


疲れや体調の悪さ、バイオリズムが関わっていないか…等を


考えてみるということ。





それらを見直してみて、


必要なら


たとえば「病人には優しくすべき」という認知を


「そうできたらいいができなくてもいい」


「症状は認めるが受け入れられないことはNOで良い」


というものに変えたり





色々な方法で傷ついた気持ちを癒していったり


体調を整えたり休んだり好きなことをして


受け止め方を変えられるか試してみる。





「そう思ってはダメ」から


「こういう理由があったんだから、そう思うのも無理なかったね」


と自分をまず許して


「じゃあ変える方法を選ぶこともできるね」


と進めていく感じ。





そうすることで葛藤が軽くなる場合があります。








これは


「自分が楽になるための作業」


「本来の力を発揮するための作業」


です。





「ダメな自分を周囲に無理やり合わせるための作業」


ではないですよ。





自分の感性や本体を窮屈にするために見直すわけではない、


というのが大前提です。





なので


「これが嫌だと思う自分はよくない」


というスタートが


「やっぱり嫌でいいんだ、距離をおこう」


と着地するかもしれないし


「実は嫌じゃなくて怖かった(悲しかった、羨ましかった…等)」


と変わるかもしれない。





人によって本来の在り方は様々なので


どこに行くかはわかりませんが


少なくとも


「こう思ってはいけない」よりは


自分受け入れ度、自由度が上がる気がします。








純粋に


「だって仕方ないじゃん、私そう思うんだもの」


でおしまいにならない気持ちを持ったとき。





そこにも何か


「自分にとっての良いヒント」があるのかもしれない。


だから、何を思ってもいいんだと私は思います。  




bottom of page