Aarteeni
その決断に敬意を

ここ最近、
環境が変わったりする方が
なんだか多いような印象があります。
職場が変わるとか
引越しするとか
近しい人間関係に変化があるとか
今までの何かを変えざるを得なくなるショックな出来事があるとか…
馴染みのある環境や考え方を自分で変化させるのは
多くの人にとって、結構勇気のいる事です。
それまで愛情持って接していたり
努力して手に入れたり
長年大事に育んでいたものなら
なおさらですよね。
だからこそ、その決断をしたものの
「本当にあれで良かったのだろうか?」
「もっとできることがあったのでは?」
「思いやりや愛が足りなかった?」
「もう少し待てば違う展開があったかも…」
「これはワガママなのかも…」など
いろいろな複雑な気持ちが湧いてくるのも
当然かもしれません。
でも、ここのところ聴くお話の多くが
その行動のおかげで
あなたの大切な命や
尊い魂の本来的な道筋や
素晴らしい繊細な感性が守られたのでは?
と感じることが多い気がするのです。
私の勝手な見方によるものかもしれず
ご本人にとっての真実とは違うのかもしれませんが
そう感じます。
ああ、今日無事に会えたのも
その決断のおかげなんだよなあ
もしそうしていなかったら
こういう風にそのまま笑って
会えていなかったかもよ?
と、別れた後にしみじみ感じることが、とてもよくあります。
←その場でちゃんと伝えろや!って感じですね。すみません。
直感的に本能的に、
何かを回避したことに
その説明のつかない無意識の英断に
感動を覚えるケースも多くあります。
まるで、ご本人の陰の立役者
(インナーチャイルドと言ってもいいし
ハイヤーセルフとか色々まあなんでもいいのですが)が
「この人(ご本人)守る為なので。」
と言っているのが聞こえてきそうな感じ。
意識的に決断した場合であっても
それまではとっても悩みますし
決断の後も後悔したり寂しかったり
感情が嵐のように轟々と吹き荒れて
それでも日常を送るしかなくて
つらくてかなしくて、
いったいどうしたら良いのか
と途方に暮れる時期もあるでしょう。
そのどうしようもなくやるせない思いが、
自分を責める方向に向かって
「なんで私ってこうなんだろ…」
「申し訳ないことをしてしまった…」と
罪悪感や自己否定の気持ちを増やし
さらに心情的につらくなってしまうこともあるかもしれません。
でも、大事なたったひとつの命や感性を守ることは
やっぱり何ものにも代え難い。
命(心や身体や魂すべて)の危険を、
たとえ無意識的にでも乗り越えた
その力は本当に本当に素晴らしいと
思うのです。
何よりも大切な自分自身を
その心や身体や感性や魂を
自分の力でちゃんと守ったんだ
と
その決断や
直感や
勇気を
心の中で静かに
「よくやったなあ」
「がんばったなあ」
と讃えてもいいと思うのです。
今はその出来事の意味がよくわからなくても
たとえがっかりして残念に思っていたとしても
その時の自分の精一杯の、
あれがベストな結果だったんだ
あのことがあったからこそ、今は…
といつか自然に思える日がくるといいなあと
思います。
衝撃的な出来事は、心も揺さぶられ
乗り切るのがしんどいのも事実ですが
しんどくてエネルギーの低下している時こそ
本心から、自分が満たされる
ふつふつと湧く望みはなんなのだろう?と
静かに耳を傾ける機会にもなります。
自分の心や身体がふわっと喜ぶようなことってなんなんだろう?
しみじみ安心して幸せに過ごせる場所ってどういうところだろう?
と感じて
少しずつ選択していく機会を増やすと
いつの間にか
ショックで低下してしまったエネルギーもたまっていくかもしれません。
たまった頃には、新しい あるいは懐かしいような
よりしっくりとフィットする何かが
登場しているかもしれません。
たとえすぐに登場しなくても
自分の存在そのものをちゃんと守れたという
そのことだけで、
ああ、よかったなあ
いてくれてありがたいなあと、私は思います。