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  • 執筆者の写真Aarteeni

自分と他人をジャッジしないでいられるとしたら





アクセスバーズは


「コンシャスネス」へ向かっていくための


サポートの手段だと言われています。





「コンシャスネス」というのは


自分や他人、すべてにおいて


ジャッジしないでいられる状態(もちろんしてもOK)やその能力のこと。





それによって


より本来的な自分を認めはぐくむことや


望む人生を創造することを可能にしていく


というツールのひとつです。





ジャッジしないということはありのままを把握すること。





たとえば、私もふくめ多くの人は


生まれてから大人の今までの間に


いろいろな思い込みや信念を持ちます。


 


「これは正しい」


「まちがってる」


「これはやるべきこと」


「こんなこと思ってはいけない」


などなど。





それがいけないわけではないのですが


自分にとって不要な、一面的な思い込みを持っていることによって


本来的にわいてきた自分の気持ちや望みを


自分でつぶしてしまうことがあるんです。





自分の


「こうしたい」


「これはいや」


「腹が立つ」


「嬉しい」


「好き」


「嫌い」


という、


ありのままの気持ちや望みを把握することよりも




「こうあるべき」


「すべきでない」


「そんなこと思うな」


という思い込みを優先している状態。





その思い込みは自分でも気が付いていないことも多いので


ほとんど無意識的に思いこみに基づいてジャッジし行動してしまうことも。





そんなことがたくさんあれば


だんだん自分の気持ちや望みがわからなくなってしまいます。


(何度も無視されれば口を閉ざしてしまいますよね)





わからなくなるばかりか


本当の心の声を聞かず


「我慢している(あたまで我慢させている)」状態なので


それを自由にやっている他人を見ると


イライラしたり攻撃したい気持ちになったりして


他人にもジャッジを押し付けたりしてしまいがちに・・・








それって望む生き方ですか?


あなたはどう生きたいですか?


と問いかけるのがアクセスバーズの世界観です。








わたしは、もうそういう不自由な感じなのはやめたいなあ。





自分にジャッジを押し付けて心の声を聴かないことが


どれだけダメージをくらうことか


相手にジャッジを押し付けることが


どれだけ双方しんどく幸せでないことか


身を持って知ったので。





わたしは不器用なのでそうすることでしか 


ジャッジしないではいられない気持ちと


ジャッジをやめたラクな状態の両方を


理解することができなかったのかもしれなく、





そういう意味ではダメージくらったことも


ジャッジを他人に押し付けた苦い体験も


良かったのかもしれませんが。


(苦い体験やつらい気持ちも


一概に悪いことではなく多面的であるというのも


アクセスバーズの世界観のひとつです)








とは言ってもまだたくさん、思いこみ抱えてますよきっと。


いえきっとでなく、あります。


手放したいと思いつつ、手放すのが怖いという自分も


そのまま把握しています。





バーズやセラピーを受けてくださる方と


共に


本来的な自分を覆うものを手放し


気づきを得るプロセスを楽しんでいます。


単純に楽で気持ちがよくて


頭が冴えたり鎮まるのも魅力だなーと思いながら。




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