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  • 執筆者の写真Aarteeni

「病はギフトだ」って、頑張って思わなくてもいい



うつ病って、こころの風邪ともいわれますが


もはや「こころの複雑骨折」のように


治るのも時間がかかり


わたし自身も患っていた当時は


ほんとーーうに辛かったです。





なにもしていないのに「辛い」という気持ちがわいて涙があふれ


起き上がることやお風呂に入ることが途方もない苦行に思えました。


ベッドで横になっていてもうまく眠れず


だからといって好きな本も読めない。


テレビもラジオも受け付けず


横たわってただ時計の針が動いているのを眺めていることしかできませんでした。





今、同じような状況にある方は本当にお辛いなか今日も過ごしていらっしゃると思います。


大寒波もきていますし、暖かくしておすごしください。





うつ病に限らず、病気に関する本やサイトの記述などを読んでいると


「病はギフト」という言葉を目にすることがあります。





私も今ならそう思いますし


それは私にとって真実のことです。





うつ病を発症したことで私は


自分の身体や心をいかに粗末に扱っていたかを思い知り


心の癖や思い込みに気が付き、傲慢さを自覚しました。


(あくまで私の場合、です。うつ病になる人の性格や原因、経過等は様々です)



同時に周りの人の支えのありがたさや


病について、心や身体についてかなり多角的に知ることができました。



このことがなければ


今このようなセラピーをしていないわけですし


していたとしても、今の心持ちではできなかったと思います。





それは私にとって大きなたからとなっています。





一般的にも


「この病や出来事にも何らかの意味がある」


という視点を持つことは、その予後に良い影響を与えるというデータも


ある実験結果ではでています。





しかし。


しかしです。





今現在 とても苦しい、辛い気持ちの人が


「病はギフト」という言葉を100%本当に受け入れられるのか


というのは疑問です。



「はああ?こんなに苦しいギフトはいらないわ!」


というのも、真っ只中にある人の本音だと思うのです。



「今つらい。


でも、本を読むとギフトって書いてあったり


乗り越えられない試練はないって良く言われる。


心を明るく保ち笑顔でいることで


現実がそうなるっていう考え方もある。


そう思える時もあって


前向きに頑張っているけど


でも・・・」



というタイプの人は


どっぷりと嘆いたり


辛い辛いと悲しんだりしてもいいんじゃないかと思います。





こころには段階があります。





泣いたり悲しんだり


不条理だと怒ったりするのを飛び越えて


苦しいことを受け入れ笑顔で前に進むのはなかなか難しいと思うのです。





すごく頑張って、その時進むしかなくて進んでも


あとで


「この泣き怒りのステップ、飛ばしてますよ。」


と肩をたたかれることもあります。


誰に?


自分のこころにです。





ならば、今存分に悲しんだり怒ったりしてもいいんじゃないでしょうか。





大人になると、なりふり構わずそうするのは難しいかもしれません。


でも、自分にとって安全な時と場所を見つけて


気持ちを外に出し受け止めてあげられるのは


大人だからこそ、できることかもしれません。





「この病気にも意味があると思いたい」と考えるような方は


そういう段階を踏んだら自動的にそう思えるようになります。


だから安心して、存分に怒ったり涙を流して大丈夫なのです。

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