Aarteeni
統合失調症の親への気持ち(2)
(続きです)
時はたち、父は私が大人になってから亡くなりました。
亡くなり方にも少し事情があったため、
亡くなったことについても、その気持ちを表に出すことはありませんでした。
また、ルーティンワークのように同じく圧縮し、箱にしまったのです。
その後は、
表面上そのような事実がなかったかのように日々を過ごしました。
職場の人にも「(事情があったのに)まったく変わらないね…」と言われるほど。
でも、亡くなって目に見える肉体がなくなったり、思い出すことがなくなるのと同時に
気持ちをしまった箱もなくなるでしょうか?
そんなはずはないのですね。私の場合は、なくなりませんでした。
まるで、いっぱいに水が入ったコップに数滴水を垂らしただけであふれてしまうかのように
少しの刺激で涙が出たり、少しの刺激で怒りや不安にふりまわされたりしていました。
そして、なぜかとても疲れやすかったです(でもそれがノーマルだと思ってました)。
コップにいっぱい入った水、それは心に溜まりすぎて行き場がない感情だったのだと思います。
しかも、心や無意識はどうにかしてたまった気持ちを出させようと動いていく傾向があるので
残念なことに内的にも外的にもどんどんきついことになっていき、
「もうこの気持ちを成仏させるしかない」というところまで追いつめられてしまいました。
たぶん、こんなに追いつめられるまでほっておかなくてもいいはずなんですけど。
今だったら「少しつらいかな」くらいで荷物を下ろしたりできますが
そのころは「弱音をはかない」「とにかく我慢して頑張る」ことで何かを乗り越えるという行動志向が強かったので
そうなってしまったのです。
これも成長過程でできた「その時代を生きるために自分が作った思い込み」なのですが
大人になっても無意識にそれを適用してしまったのですね。
なかなかに、頑固で不器用な生き方だと自分でも思います(笑)

気持ちを成仏させ、消化(昇華)させたのちは
その時箱に入れていたネガティブな気持ちに振り回されることは、ほぼありません。
記憶として「こういうことがあり、こういう風に思っていたなあ」と思い出すことはありますが
穏やかな、フラットな感じで「それ」が存在しているのを認識しているという感じです。
そして、「父も大変だったなあ」「頑張ってくれていたんだなあ」と
思いを馳せることもできるようになりました。
気持ちを成仏させ、改めて家族全体を見渡し、自分の様々な思い込みを発見し
思い込みやため込んだ気持ちを持つにいたった自分を赦し
少しずつ進んだ結果だと思っています。
若い頃、頭(顕在意識レベル)で知識を入れ、自分が楽になりたいがために
「許そう」
「手放そう」
「受け入れよう」
と思っていたころには手に入らなかった、
「許し」
「手放し」
「受け入れている」状態を
完ぺきではないにせよ、自然に持てていることに心底ほっとしています。
気持ちを昇華する、成仏させる というと
その方法はいろいろあります。
これは好みがありますので自分にあったものをチョイスすればいいと思いますが
口で気持ちを話す、口から感情のエネルギーを出すのが効果的だと、いまのところ私は思います。
相手に直接言えなくってもいいのです。
むしろ相手が受け止められない状態であれば、残念な結果になってしまうこともありますから。
「自分が自分の気持ちを受け止める」ということが大切なのかなあと思います。
口に出すことも難しければ、誰にも見せないノートに書いたりするのも
気持ちを整理するうえでいいと思います。
これは、あくまで私の話です。
同じように統合失調症を患う親御さんと暮らしている(いた)人でも
その家庭、その人それぞれの気持ちや歴史があります。
でも万が一
「自分は子どもらしい子ども時代を過ごせなかったなあ」
と感じていて
「それが理由かどうかわからないけど、今、なんだか困ってるなあ」という人がいれば
大人になってから、自分で取り戻し自分で癒すことができるよ と
伝えたい気持ちでいます。
そしてそれは、統合失調症ではなく鬱などの別の精神疾患、
別の病気、別の事情
親御さんのそれ、ではなく別の家族のなにか
そのほかこ今こには書けないような事情であっても
もちろん同じことが言えます。
心の荷物をおろして、自分を癒せたら
今まで荷物があったその空きスペースに何をいれるのも
もうあなたの自由です。