
Aarteeni
今や未来をよりよく生きるために、一度過去を振り返る
「過去は振り返らない」
「終わったことにはこだわらない」
「前だけを見て進む」
このような考え方があります。
どれも、素晴らしい考え方だと思います。
とても前向きですよね。
インナーチャイルドセラピーや
いわゆる退行療法と言われるヒプノセラピーの方法を(必要があれば)私も用いますが
これらは年齢をさかのぼって過去(現世や過去世)の自分と向き合うセラピーの方法です。
人によっては、前述のような考え方をする方もいるので
「果たして過去を振り返ることに意味はあるのか?」と思われる方もいるかもしれません。
これはあくまで「私が思うこと」ですが
私は意味があると思っています。
過去がもう完全に終わったことであればいいのです。
わざわざ振り返らなくても
今やこれからの生き方だけを考えていくのはとても建設的だと思います。
けれど、その過去がまだ終わっていなかったとしたら、どうでしょうか。
その過去に味わうべきだった怒りや悲しみをしっかり味わっていなかったり
その時に言いたかったことを言わずに無意識で後悔していたりしたら
その過去は現象として終わっていても
その人の心の中で本当に終わっているといえるのだろうか?
という視点や考え方を持つこともできると思うのです。
終わっていない、消化しきれていない思いは
今の現実にあらわれることがあります。
それは人間関係で同じようなパターンの嫌な思いを繰り返したり
心身の不調というかたちをとったり、人によって様々です。
あたかも、消化されなかった気持ちが「気づいてほしい」というサインを出し続けているかのようにみえるものもあります。
そうはいっても、感情をそのまま味わうのに罪悪感が湧いて
「もう大人なのにいつまでも子どもの頃のことを引きずるのは格好悪い」
「いい歳して親のせいにするのはおかしい」
と考える場合もでしょう。
私もそう思ったことがありますし
ある側面ではその考えはもっともなものです。
人は誰でも完璧に行動することはできませんし
誰か特定の人が悪いというものでもない場合があるのは確かです。
でも心には、段階やプロセスというものがあるんですね。
まず最初に気持ちを消化(昇華)しないで
あたまで「もう終わった」
「引きずらない」
「誰のせいでもない」と考えても
こころ(無意識)は、
その最初の第一段階を飛ばしてほしくないこともあるのです。
ちゃんとその思いが「ある」と認めてほしいのです。
飛ばしてほしくないと考えるこころ(無意識)は
もう一度向き合うよう、あなたに迫ってくることがあります。
そういう時には、きちんと向き合ったほうが
より自分らしく生きられるのではないかと思います。
最近読んだジョーン・ボリセンコさんという精神神経免疫学者の方の著作『自己変容の炎』にこのような記述がありました。
「自分を被害者とみなすことは、喪失や悲しみ、怒りを表現するという癒しの第一段階としては適切です。」
この、「第一段階としては」というのがポイントです。
「過去を振り返ったってしかたない」という考えの人の中には、
ずーっとずーっといつまでも怒りや悲しみを持っていたり
周りにまき散らすのがいやだから
という理由でそのような考えを持っている人も多いのではないかと思うのですが
どうでしょうか。
確かにずーっと「被害者(ちょっと誤解を生みそうな言葉なので、以降「傷ついた自分」とします)」
でいるのは、あまり幸せなことではないでしょう。
そうしたい人はしても良いと思いますが
私はできればそうしたくないと思うタイプです。
でも、きちんと「傷ついた自分」を意識しないでいることで
なにかうまくいかない状況が生じている場合であれば
その第一段階を踏むのは決して後ろ向きなことではないと思うのです
そのときには、「こんなことを思う私はダメなのでは」という罪悪感を一度脇に置く勇気が
必要となる場合もあります。
ボリセンコさんは、続けてこういっています。
「しかし深く癒されるためには、被害者意識を捨て、自分の力を集めて前進することが必要なのです」と。
第一段階で十分に悲しみ、怒り、涙を流したあとには
「もう傷ついた自分は卒業していいかな」という段階に進むことが自然と可能になります。
前進したいという気持ちのもとで後ろを振り返り
一時的に「傷ついた自分」を感じ怒りや悲しみや涙を流すことで
自分の力をもう一度呼び戻したり集めたりすることができるようになる
それがひとつの癒しのかたちなのかもしれないなあと思います。
そんな癒しを起こせた時に
心から納得して自分らしい生き方を選択できるのかもしれないですね。
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