Aarteeni
うつとわたしと暴走するバスの話(夢療法)
昔、
うつ病を患ってあまり起き上がれず、
仕事もお金もなく、
家族も次々と病気になって
「人生詰んだな」
と思っていた時、
こんな夢を
みたことがあります(眠ってる時みる夢のほうです)。
「大型バスが
急斜面の標高の高い山道を
ガンガン進んでいて
自分はそのバスの一番後ろに乗っている。
車内は人で溢れてぎゅうぎゅう詰めで
前や横の窓は人の姿でふさがれて、
外の景色は全然見えない。
そして運転席に座っている人は、
乗客に押され過ぎて前が向けず
後ろ向きでハンドルを握っていて
「わあ危ない!」と思っているうちに
崖から落ちて、大破してしまう」
という夢。
滑稽だけど、ユラっと浮かんで落ちる感じは怖かった!!

当時、鮮明な夢をいくつか見ていて
(これも潜在意識のサポートだったんでしょう)
書きとめていたので
よく覚えているんですが
その当時の心の内を
象徴的にあらわした、
突っ込みどころメッセージ満載の
夢だったと思います。
今なら言いたいですね。
「人、乗せすぎ!」
「飛ばすな Σ(゚Д゚*)ゴルァ!!」
って。
夢の解釈って、いろいろあります。
一般的な夢分析と言われるものより
「その人のイメージ」を
大事にしたいタイプなので
(夢療法もそういう方法です)
以下もわたしなりの解釈です。
その頃のわたしの心の中って
いつも
「早く社会復帰しないと」
と焦っていました。
毎日、
そのことを考えていたと思います。
でも、どこに向かって
「復帰」していいかわからない。
前の職業には、戻れる気がしない。
でも何かしなくちゃ。
自分になにができる?
こんなに頭も動かないし
体力もないから
簡単なバイトすらできないかも…
でもそれは甘えなのかもしれない。
勇気がたりないんじゃない?それとも気合?
どちらも出そうとすると、寝込む。
「社会復帰」したいのに
いったいどうしたらいいんだろう…
そんなことばかり
ぐるぐるぐるぐる考え、
とてももどかしく感じていました。
中にぎゅうぎゅうに人が詰まっていたように
心の中に
癒されてない気持ちや
不要になった思考のクセなどの
諸々のエネルギーを
パンパンに溜めこんだたまま
行先も見ないで前へ前へと暴走してる、
バスそのものな感じだったんです。
どうにもこうにも動かないんだったら、
ここはひとつ
その重荷を下ろしたり
心や身体を癒し整えたり
生き方見つめ直すのがまず先で、
それが今のあなたの「仕事」ですよね、と
今なら思いますが
当時は
「自分の心や身体なんかより
まず”社会に復帰”するのが一番大事でしょ!?」
と無意識下で感じてたんです。
・・・・・・・。
パワハラ上司ですか。
いや、
どうしてもそうしないといけない事情が
発生する場合もあるかもしれないし
そうすることで何か展開したり
思わぬ方へ向かうケースだって
もちろんあるんだと思いますよ。
けれど、
「その時のわたしの場合」は
どうだったかというと
その方向にガンガン突き進んで
まさに崖から転落して
バスが大破するような
状況になっていたわけなんですよね~…。
さて。
この夢には続きがありまして、
崖から転落して
バスはぶっ壊れたのですが
わたしはなんとか生きてて、
ホロのようなカバーとロープを使って
ひとりで身体をはって
枠組みだけになったバスを
直しにとりかかってました。
運転手も、
ぎゅうぎゅうに乗ってた人たちも
もうそこにはいませんでした。
この夢のメッセージ、どう感じますか。
「落ちて大破しても、やり直せる」
というのもあるでしょう。
または
「いやいや、
大破させちゃヤバいでしょ!
バスをいったん止めて、
乗ってる人たちに降りてもらったら?
そしたら景色もみえるし
軽くなって
自分で運転もしやすいから
それでゆっくり進んでも良かったよね」
というのもあるかもしれません。
そう、
つらい思い
溜めた涙や怒り
もう要らない信念・価値観
自分を幸せにしない考え方、
傷ついたあまりに創った行動パターンなどの
「自分にとっての重荷」を
心の底に沢山抱えていると
その荷物で窓がふさがれて
外の景色がよく見えない時があります。
「過去の心の痛みフィルター」
「こうすべきフィルター」
を通してしか、
ものごとが見えなくなって
「とにかく働かなければ、
”社会復帰”しなければ、死ぬ」
(もはや呪詛)
と
頑なになってしまって
かえって身動きとれなくなったわたしのように。
そして
その荷物があまりに重いと
本来搭載されたエンジンの力が
発揮できない時も
あるかもしれませんよね。
急いで「社会復帰」したい
「心の事情」もあったんですが
「自分のバスに過剰に人が乗ってる状態」も
まぎれもないわたしの
「心の事情」だったんです。
順番的には
前に進むより
バスのメンテナンスが先ですね。
少なくとも、わたしの場合は先でした。
メンテナンスしながら、
「ここも意外といい景色」
と楽しんだり
その楽しい気持ちで
「あ、あそこ行ってみたいな」
というどこかに気づいたら
そこに向かって
そこで、やれることをすればよかった。
やみくもに、
行き先不明の「社会復帰」を目指すより
そちらのほうが
地に足つけて自分の人生を大切にしてる感じ。
今ふりかえれば、そう思います。
そして実際、
バスが大破して作り直した後は
そうやって今まで進んできた気がします。
以前の山道には戻ってないですが
地道に、カラフルな景色を見ながら
行きたい方向を楽しめる道を。
たまに荷物を点検し下ろす作業は欠かさずに。
荷下ろしはずっと続くのかもしれません。
車検やメンテナンスが必要なのと
同じですね。
重荷を積んでいるのは
決して悪いことでも愚かなことでもなく、
それを積んだ事があるからこそ
わかることがあったり
得るものがあったりする
素晴らしい経験だと思います。
でも、下ろしたくなったら下ろす選択もできる。
軽くなってみると
「自分のバスって意外と自由」
「外を見ながら運転するの楽しい!」って
感じがするかもな、とも思います。
あれ以来、
バスの夢はほとんど見ないけど
今見たら、どうなっているんでしょう。
たぶん結構楽しくハンドル握って
快適に走ってると
わたしは思っています。